基本情報 | |
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国籍 |
南アフリカ共和国 オーストラリア (二重国籍) |
出身地 |
南アフリカ共和国 ハウテン州ヨハネスブルグ |
生年月日 | 1990年1月22日(34歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2007年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム |
南アフリカ オーストラリア |
WBC | 2009年 |
この表について
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ジャスティン・エラスムス(Justin Erasmus、1990年1月22日 - )は、南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
兄は、第1回WBCの南アフリカ共和国代表で捕手を務めたブラッドリー・エラスマスである。
1990年1月22日に、南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグで生まれる[1][2]。その後、オーストラリアのブリスベンへ移住する[1]。
2007年3月に、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結びプロ入りを果たした[1]。元々は、内野手だったがプロ入りを機に、投手に転向した[1]。
2009年3月に、第2回WBCの南アフリカ代表に選出された[3]。3月9日のメキシコ戦で先発登板するも敗戦投手となった[4]
6月25日に、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・レッドソックスでプロデビューを果たす[1]。この年は、15試合に登板し、2勝2敗5セーブ、防御率2.05、25奪三振を記録した[2]。
2010年も、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・レッドソックスでプレーした。この年は、21試合に登板し、1勝3敗10セーブ、防御率2.12、33奪三振を記録した[2]。
オフには、オーストラリアンベースボールリーグ(ABL)のブリスベン・バンディッツでプレーした[5]。ここでは、6試合(3試合で先発)登板し、0勝3敗、防御率6.38、8奪三振を記録した[6]。
2011年は、傘下Aのグリーンビル・ドライブでプレーした。この年は、24試合に登板し、4勝1敗1セーブ、防御率1.12、36奪三振を記録した[2]。
オフには、前年同様にブリスベン・バンディッツでプレーした[7]。ここでは、12試合に登板し、0勝0敗2セーブ、防御率2.25、8奪三振を記録した[6]。
2012年も、傘下Aのグリーンビルでプレーした。この年は、26試合に登板し、1勝3敗3セーブ、防御率9.24、38奪三振を記録した[2]。
同年限りで、退団した。
オフの10月には、第39回IBAFワールドカップのオーストラリア代表に選出された。
また3年連続でブリスベン・バンディッツでプレーした[8]。ここでは、16試合に登板し、2勝3敗3セーブ、防御率0.42、8奪三振を記録した[6]。
2013年は、独立リーグであるフロンティアリーグのジョリエット・スラマーズと契約を結んだ。ここでは、27試合に登板し、3勝2敗17セーブ、防御率1.82、21奪三振を記録した[2]。シーズン途中に、退団した。
2013年シーズン途中に、独立リーグであるフロンティアリーグのゲートウェイ・グリズリーズに入団した。ここでは、6試合に登板し、1勝0敗3セーブ、防御率0.00、5奪三振を記録した[2]。同年限りで、退団した。
オフには、オーストラリアンベースボールリーグのメルボルン・エイシズでプレーした[9]。ここでは、18試合(3試合え先発)登板し、3勝4敗4セーブ、防御率3.48、23奪三振を記録した[6]。
2014年は、独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのファーゴ・ムーアヘッド・レッドホークスと契約を結んだ。ここでは、25試合に登板し、2勝2敗2セーブ、防御率5.07、31奪三振を記録した[2]。シーズン途中に、退団した。
2014年シーズン途中に、独立リーグであるフロンティアリーグのシャンバーグ・ブーマーズへ入団した。ここでは、8試合(2試合で先発)登板し、3勝0敗1セーブ、防御率4.21、24奪三振を記録した[2]。
オフには、2年振りにブリスベン・バンディッツでプレーした[10]。ここでは、22試合に登板し、0勝1敗、防御率3.82、32奪三振を記録した[6]。
この節の加筆が望まれています。 |