ジャック・ヴィルヌーヴ・シニア | |
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基本情報 | |
フルネーム | ジャック・ジョセフ・ヴィルヌーヴ |
国籍 |
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出身地 |
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生年月日 | 1953年11月4日(71歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1981,1983 |
過去の所属チーム |
'81 アロウズ '83 RAM |
出走回数 | 3 (0スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1981年カナダGP |
最終戦 | 1983年カナダGP |
ジャック・ジョセフ・ヴィルヌーヴ(Jacques Joseph Villeneuve, 1953年11月4日 - )は、カナダ出身のカーレーサー。1983年のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップシリーズチャンピオン。
モータースポーツ界では甥のジャック・ヴィルヌーヴと区別するため、ジャック・ヴィルヌーヴSr.(-シニア)やアンクル・ジャック(Uncle Jacques)などと呼ばれる。
1953年、カナダケベック州リシュリューでヴィルヌーヴ家の次男として生まれる。3歳年上の兄、ジル・ヴィルヌーヴと同じくスノーモービルレースで頭角を現し、1980年・1981年に北米のフォーミュラ・アトランティック選手権のチャンピオンとなる。レース経歴や攻撃的なドライビングスタイルから、フェラーリの人気ドライバーである兄と才能を比較されたこともあった。
1981年、F1のカナダGPとラスベガスGPにアロウズからスポット参戦するが、ともに予選落ちとなった。1983年にはカナダGPにRAMからスポット参戦したが、同じく予選落ちとなった。F1では成功できず、以後は北米のレースを中心に活動する。
1982年よりカナディアン-アメリカン・チャレンジカップシリーズに参戦し、1983年に5,000ccクラスの年間チャンピオンとなる(同年にはル・マン24時間レースにも参戦)。1984年から1986年までは北米オープンホイールカーレースの最高峰CARTシリーズに出場し、ポールポジション1回、優勝1回(1985年第8戦ロード・アメリカ200)を記録。カナダ人レーサーとして初のCART優勝者となった。
その後はポルシェカップ、IMSAなどに参戦。1992年にはCARTの2戦にスポット参戦した。ゲストドライバーとしてフォーミュラ・アトランティックに出走し、優勝したこともあった。
四輪レースと平行してウィンターシーズンにはスノーモービルレースを続け、輝かしい成績を残している。アメリカウィスコンシン州イーグルリバーで毎年開催される世界一決定戦「ワールドチャンピオンシップ・スノーモービル・ダービー」では1980年、1982年、1986年の3度優勝という最多タイ記録を持つ(ちなみに、兄のジルも1974年に優勝している)。
これらの功績を認められ、2001年にカナダのモータースポーツ殿堂入りを果たした。
50歳を過ぎても現役として活動中だが、2008年のスノーモービル・ダービーのレース中、トラブルで減速したところへ他のマシンに追突され、脊椎損傷・骨盤骨折の重傷を負った。
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | WDC | ポイント |
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1981年 | アロウズ | A3 | USW | BRA | ARG | SMR | BEL | MON | ESP | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | CAN DNQ |
CPL DNQ |
NC (37位) |
0 |
1983年 | RAM | 01 | BRA | USW | FRA | SMR | MON | BEL | DET | CAN DNQ |
GBR | GER | AUT | NED | ITA | EUR | RSA | NC (34位) |
0 |
(key)
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
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1982 | ジャミーソン・レーシング | ![]() PHX1 |
![]() ATL |
![]() MIL |
![]() CLE |
![]() MIS1 |
![]() MIL |
![]() POC |
![]() RIV |
![]() ROA |
![]() MIS2 |
![]() PHX2 14 |
44位 | 1 | ||||||
1984 | カナディアン・タイヤ・レーシング | ![]() LBH 6 |
![]() PHX1 13 |
![]() INDY DNS |
![]() MIL |
![]() POR 6 |
![]() MEA 15 |
![]() CLE 9 |
![]() MIS1 |
![]() ROA |
![]() POC |
![]() MDO |
![]() SAN 8 |
![]() MIS2 |
![]() PHX2 9 |
![]() LS Ret |
![]() LVG Ret |
16位 | 30 | |
1985 | カナディアン・タイヤ・レーシング | ![]() LBH 7 |
![]() INDY DNQ |
![]() MIL Ret |
![]() POR Ret |
![]() MEA Ret |
![]() CLE 4 |
![]() MIS1 |
![]() ROA 1 |
![]() POC |
![]() MDO 3 |
![]() SAN Ret |
![]() MIS2 |
![]() LS Ret |
![]() PHX 13 |
![]() MIA Ret |
8位 | 54 | ||
1986 | ヘメルガーン・レーシング | ![]() PHX1 |
![]() LBH 8 |
![]() INDY Ret |
![]() MIL 15 |
![]() POR 5 |
![]() MEA 5 |
![]() CLE Ret |
![]() TOR Ret |
![]() MIS1 |
![]() POC |
![]() MDO 11 |
![]() SAN Ret |
![]() MIS2 |
![]() ROA 10 |
![]() LS Ret |
![]() PHX2 Ret |
![]() MIA 6 |
15位 | 38 |
1992 | アルシエロ・レーシング | ![]() SRF |
![]() PHX |
![]() LBH |
![]() INDY |
![]() DET |
![]() POR |
![]() MIL |
![]() NHA |
![]() TOR |
![]() MIS |
![]() CLE Ret |
![]() ROA Ret |
![]() VAN |
![]() MDO |
![]() NAZ |
![]() LS |
52位 | 0 |
(key)
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1983年 | ![]() |
![]() ![]() |
シェカー・C6 | C | 68 | DNF | DNF |
タイトル | ||
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先代 トム・グロイ |
ノースアメリカン・フォーミュラアトランティック・チャンピオン 1980年 - 1981年 |
次代 デイヴ・マクミラン |
先代 アル・アンサーJr. |
Can-Am チャンピオン 1983年 |
次代 マイケル・ロウ |