『ジャミロクワイ (Emergency on Planet Earth)』 | ||||
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ジャミロクワイ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | アシッド・ジャズ | |||
時間 | ||||
レーベル | ソニーミュージック / エピック・レコード | |||
プロデュース | Mike Nielsen | |||
チャート最高順位 | ||||
ジャミロクワイ アルバム 年表 | ||||
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『ジャミロクワイ』収録のシングル | ||||
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『ジャミロクワイ』(Emergency on Planet Earth)は、1993年にリリースされたジャミロクワイの1枚目のスタジオ・アルバム[1]。2022年にリリース30周年を記念してレコード版として再発売された。
1993年2月のソニーとの契約前からケイとスミスは既にアルバム制作を始めており、ほぼ全ての曲は完成していたのだが、2人とも新人ミュージシャンだっため不安に思ったソニーの重役マフ・ウィンウッドは経験豊かなプロデューサーをジャミロクワイに付けた[5] [6]。
このプロデューサーは2人が作曲した曲をポップな大衆音楽に編曲し、ジャミロクワイをアイドル歌手のような路線で売り出そうとした[7]。大企業ソニーの大物プロデューサーに新人が逆らうのは非常に難しい状況だったが、編曲された音楽にどうにも納得できなかった2人は激しく抵抗し、プロデューサーとの話し合いは二日間に及んだ[8]。最終的に元々2人が作曲したバージョンに戻す事で落ち着いたのだが、締切はその翌日だったため「このまま帰宅したら夜のうちにまた編曲されてしまうかも知れない」と不安に思ったケイはスタジオに泊まり込み、自分たちの音楽を死守して提出するに至った。こうしてケイとスミスのバージョンが発売され、発売4日後に初登場1位[9]を記録し、ケイが信じた音楽が成功した形になった。
アルバムにクレジットされているプロデューサーはニールセンだが、アイドル路線に編曲を試みたプロデューサーはニールセンではない。名前は90年代の紙の媒体では報道されていたが、現在は名前を伏せられている。
この一件はケイの才能を讃えるエピソードになった一方、上に従わない扱いにくいミュージシャンだとのイメージが定着してしまった。新人時代のたった1回のエピソードによって「扱いにくい人」というイメージがついた事に対し、2022年のインタビュー[8]で苦悩したと答えている。この報道でマスコミにうんざりしたため避けるようになったが、このアルバム以後もさらに有名になっていったため、どこに移動するにも常時40人くらいのパパラッチに追われながら生活[8]する状態だった。
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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1. | 「When You Gonna Learn」 | ケイ | |
2. | 「Too Young to Die」 | ||
3. | 「フックト・アップ」(Hooked Up) | ||
4. | 「僕が好きなら、僕はやる」(If I Like It, I Do It) | ケイ、Nick Van Gelder | |
5. | 「ミュージック・オブ・ザ・マインド」(Music of the Mind) | ||
6. | 「地球は緊急事態」(Emergency on Planet Earth) | ケイ | |
7. | 「それが何でも、僕はやめられない」(Whatever It Is, I Just Can't Stop) | ケイ | |
8. | 「ブロウ・ユア・マインド」(Blow Your Mind) | ||
9. | 「革命 1993」(Revolution 1993) | ||
10. | 「ディジン・アウト」(Didgin' Out) | ケイ、Wallis Buchanan |