ジャングルポケット (競走馬)

ジャングルポケット
第68回東京優駿(日本ダービー)優勝時
(2001年5月27日)
現役期間 2000年 - 2002年
欧字表記 Jungle Pocket[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1998年5月7日[1]
死没 2021年3月2日(23歳没)[2]
トニービン[1]
ダンスチャーマー[1]
母の父 Nureyev[1]
生国 日本の旗 日本
北海道勇払郡早来町[1]
(現:勇払郡安平町
生産者 ノーザンファーム[1]
馬主 齊藤四方司
吉田勝己
吉田照哉[注釈 1]
調教師 渡辺栄栗東[1]
調教助手 新屋健二郎
厩務員 星野幸男
競走成績
タイトル JRA賞年度代表馬(2001年)
最優秀3歳牡馬(2001年)
生涯成績 13戦5勝[1]
獲得賞金 7億425万8000円[1]
IC L123 / 2001年[5]
E117 / 2002年[6]
勝ち鞍
GI 東京優駿 2001年
GI ジャパンC 2001年
GIII 札幌3歳S 2000年
GIII 共同通信杯 2001年
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ジャングルポケット(欧字名:Jungle Pocket1998年5月7日 - 2021年3月2日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍は2001年東京優駿ジャパンカップ

馬名の由来は童謡の『ジャングルポケット』から。2001年度のJRA賞年度代表馬最優秀3歳牡馬である。

戦績

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2歳時

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デビュー戦は2000年9月2日札幌競馬場芝1800メートルで、騎手は千田輝彦であった。このレースには、のちに朝日杯3歳ステークスを優勝するメジロベイリー、のちに東京スポーツ杯3歳ステークスに勝ち朝日杯3歳ステークス2着のタガノテイオーも出走していた。ジャングルポケットは単勝5番人気であったが、道中2-3番手からの競馬で勝利を収めた。このレースに出走した全8頭がのちに勝ち上がるというレベルの高い一戦であった。JRAでは1勝も挙げられずに登録を抹消される馬も多いなか、これは極めて稀有な例である。

デビュー2戦目となる重賞札幌3歳ステークスでも単勝5番人気ながら、レコードタイムで制した。このときの2着はタガノテイオー、3着はのちの二冠牝馬テイエムオーシャンであった。

3戦目からは、当初からパートナーとして決まっていた角田晃一とともにGIIIラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走。3番人気ながら、のちの皐月賞アグネスタキオンの2着に入線している。また、3着は1番人気に推されたクロフネで、こちらはのちにNHKマイルカップジャパンカップダートを制している。のちのGI馬が3頭揃ったレースであった。

3歳時

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2001年共同通信杯から始動し、圧倒的1番人気に推され、ゴール前ではヨレて走りながら完勝する。このあと皐月賞トライアルには出走せず皐月賞に直行する。その皐月賞ではアグネスタキオンに次ぐ2番人気に推されながら、ゲートが開いた途端大きくつまずいたために出遅れ、追い上げも届かず3着に敗れる。

このあと、アグネスタキオンが屈腱炎を発症して戦線離脱(そのまま引退)。それを受けて押し出される形で、次の東京優駿では1番人気に推され、2番人気にはNHKマイルカップを制したクロフネが続いた。レースではジャングルポケットは直線で伸びて2着のダンツフレームに1馬身2分の1差をつけて21世紀最初のダービー馬となった。ウイニングランの場面では大歓声のなか、激しく頭を上下させる姿が見られた。本来臆病な種族であるサラブレッドは、このような大歓声に驚き、パニックに陥ることがほとんどである。それにもかかわらず角田晃一はなだめるそぶりも見せず、逆に観客の方へ歩み寄せた。

古馬との初対決となった札幌記念では同期のエアエミネムに敗れ3着、秋は菊花賞から始動し、1番人気に推されたが、折り合いを欠きマンハッタンカフェの4着に敗れ、その後角田晃一がこの馬に騎乗することは一度もなかった。

レース前に馬主となった吉田勝己の意向により、短期免許で来日していたオリビエ・ペリエに乗り替わったジャパンカップでは、古馬で前年の勝ち馬・テイエムオペラオーをゴール直前で差し切って優勝。3着以下にもナリタトップロードステイゴールドメイショウドトウらが入り、ジャパンカップ史上初めて日本馬が掲示板を独占した。また、内国産馬の3歳馬がジャパンカップを勝ったのも初めてのことで、この活躍が評価され、この年の年度代表馬および最優秀3歳牡馬に輝いた。イギリス・タイムフォーム社のレーティングでは131ポイントの評価を受けた。

4歳時

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2002年にはキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス凱旋門賞への挑戦プランが陣営から発表された。鞍上には武豊を迎える予定であったが、武の落馬負傷により年明け緒戦の阪神大賞典ではミルコ・デムーロの騎乗が決まるも、今度はデムーロが騎乗停止となったため、最終的には小牧太(当時は公営兵庫所属)が手綱をとりナリタトップロードの2着。怪我から復帰した武を鞍上に天皇賞(春)に出走するが、第4コーナーで前の馬が外に振られて壁となる不利もあり、マンハッタンカフェをクビ差捕らえ切れずこのレースも2着に終わった。この年の国際ランキングでは古馬長距離部門で3位になった。

その後、宝塚記念から海外遠征の予定だったが、調教中に脚部不安を発症したため、宝塚記念出走、海外遠征ともに中止となった。休養後、調整が遅れたためにぶっつけでジャパンカップに向かった。なお、このレースの前に馬主名義が齋藤四方司からノーザンファーム代表の吉田勝己に変わったため、以後それまでとは違う服色(黄、赤縦縞、黒袖)で出走した。結果は5着に終わる。続く有馬記念は武がファインモーションに騎乗のため藤田伸二に乗り替わったが、早めにまくる奇襲作戦も実らず7着と大敗した。レース後に腰部筋肉痛と左前蹄球炎を発症していたことが分かり、翌2003年1月に引退した。なお、引退式には3歳時の菊花賞まで手綱を取った角田晃一が齋藤四方司名義の勝負服を着て参加している。

記事によると、種牡馬としてのトニービンは東京巧者だという評価を決定付けたきっかけがジャングルポケットの競争成績であり、同馬は 東京競馬場2400mの王者と呼ばれることもある[7]

競走成績

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以下の内容は、JBISサーチ[8]およびnetkeiba.com[9]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上がり3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2000.09.02 札幌 3歳新馬 芝1800m(稍) 8 6 6 009.80(5人) 01着 R1:52.0(35.9) -0.1 0千田輝彦 53 タガノテイオー 456
0000.09.23 札幌 札幌3歳S GIII 芝1800m(良) 13 5 7 009.20(5人) 01着 R1:49.6(35.8) -0.2 0千田輝彦 53 (タガノテイオー) 466
0000.12.23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 芝2000m(良) 12 4 4 004.80(3人) 02着 R2:01.2(34.5) -0.4 0角田晃一 54 アグネスタキオン 466
2001.02.04 東京 共同通信杯 GIII 芝1800m(良) 12 6 8 001.40(1人) 01着 R1:47.9(34.8) -0.3 0角田晃一 56 (プレジオ) 474
0000.04.15 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 18 1 1 003.70(2人) 03着 R2:00.6(35.3) -0.3 0角田晃一 57 アグネスタキオン 474
0000.05.27 東京 東京優駿 GI 芝2400m(重) 18 8 18 002.30(1人) 01着 R2:27.0(35.6) -0.2 0角田晃一 57 ダンツフレーム 470
0000.08.19 札幌 札幌記念 GII 芝2000m(良) 9 7 7 001.30(1人) 03着 R2:00.5(34.6) -0.4 0角田晃一 54 エアエミネム 470
0000.10.21 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 15 7 13 002.30(1人) 04着 R3:07.6(34.2) -0.4 0角田晃一 57 マンハッタンカフェ 470
0000.11.25 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 15 4 6 004.20(2人) 01着 R2:23.8(34.9) -0.0 0O.ペリエ 55 テイエムオペラオー 470
2002.03.17 阪神 阪神大賞典 GII 芝3000m(良) 9 8 8 002.20(2人) 02着 R3:08.2(34.6) -0.3 0小牧太 58 ナリタトップロード 478
0000.04.28 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 11 6 7 003.50(3人) 02着 R3:19.5(34.0) -0.0 0武豊 58 マンハッタンカフェ 474
0000.11.24 中山 ジャパンC GI 芝2200m(良) 16 5 10 004.20(3人) 05着 R2:12.5(35.3) -0.3 0武豊 57 ファルブラヴ 478
0000.12.22 中山 有馬記念 GI 芝2500m(稍) 14 6 9 004.50(3人) 07着 R2:33.9(35.9) -1.3 0藤田伸二 57 シンボリクリスエス 476

特徴

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東京競馬場との相性がよく、重賞ばかり3戦3勝であった。一方、中山競馬場では3戦3敗で、すべて連対を外している。左回りの直線の長いコースに向く反面、コーナーワークがやや不器用で加速が遅く、小回りコースに弱いというトニービン産駒の特徴が成績上に表れている。不幸にも、同馬が古馬になった2002年は、改装工事のため東京競馬場では春季を除いてGI競走が行われず、ジャパンカップ天皇賞・秋が中山競馬場で代替されたため、得意の東京競馬場で走ることができなかった。

表彰

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  • 2001年年度代表馬
  • 2001年最優秀3歳牡馬

種牡馬入り後

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引退後は社台スタリオンステーション種牡馬生活に入った。トニービンの後継種牡馬として期待されており、サンデーサイレンス系の繁殖牝馬との配合例も多い。2007年には231頭に種付けを行い、この種付け頭数は当年の日本国内で3位を記録した。

産駒は2006年にデビューし、なかでもフサイチホウオーは無敗で重賞を3連勝する大活躍を見せた。その全妹トールポピーは2007年の阪神ジュベナイルフィリーズ2008年優駿牝馬(オークス)を制し、初のJpnI勝利馬となった。また、オウケンブルースリが2008年の菊花賞を制し、産駒の牡馬による初クラシック制覇となった。

2003年のシーズンオフからはシャトル種牡馬としてニュージーランドで繋養され、産駒もセリなどで高い評価を受けている。なお、2007年は馬インフルエンザの影響でニュージーランドへの入国が拒否されたため、8月7日に出国しオーストラリアハリロッジサラブレッズで繋養されることになった。種付料は8800豪ドル(約90万円)。

南半球での産駒は2006年12月13日に初勝利を挙げた。シャトル先のニュージーランドでは、ジャングルロケット2009年ニュージーランドオークスを制して、産駒が海外重賞およびG1競走初勝利を記録している。

2013年シーズンからは日高町ブリーダーズ・スタリオン・ステーションでの繋養が決定し、2012年12月に同牧場へ移動した[10]

2020年をもって種牡馬を引退し[11]、その後は功労馬として余生を送っていた。同年秋から体調を崩し治療が行われていたが、2021年3月2日朝、繋養先である北海道日高町のブリーダーズスタリオンステーションで死亡した[12]

産駒は父のトニービン産駒が苦手とした京都で好成績を残し、下級条件ではダートを主戦場とする馬も出している。反面、下級条件では坂のあるコースで成績が劣る面もある。

年度別種牡馬成績(中央+地方)

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出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2006年 28 63 5 8 139 1.05 1億1223万3000円
2007年 91 513 36 59 30 2.08 7億3797万0000円
2008年 173 1062 77 139 12 2.26 15億2573万9000円
2009年 222 1479 86 156 19 1.56 13億5877万2000円
2010年 274 1820 107 179 10 1.69 18億1676万1500円
2011年 353 2681 155 290 8 1.66 22億4708万8250円
2012年 373 2968 148 300 16 0.90 12億6316万7000円
2013年 346 3057 158 293 13 1.22 16億1647万5500円
2014年 311 2873 118 237 17 0.88 10億8794万8000円
2015年 286 2528 110 233 13 0.99 11億5848万2500円
2016年 264 2615 116 229 17 1.03 11億3595万5000円
2017年 252 2506 118 209 24 0.72 7億7236万8000円
2018年 231 2426 93 177 29 0.77 7億4703万2000円
2019年 225 2193 91 150 30 0.74 6億9612万1500円
2020年 197 2090 93 176 49 0.60 4億9384万8000円
2021年 176 1708 55 97 60 0.49 3億6605万7500円
2022年 115 1206 42 67 86 0.46 2億3456万7500円
2023年 86 831 30 54 106 0.44 1億7205万6000円

(2023年終了時点)

主な産駒

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GI・JpnI競走優勝馬

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太字はGI・JpnI競走競走

グレード制重賞優勝馬

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地方重賞優勝馬

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日本国外調教馬

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競走名の前の国旗は開催国 (日本以外の場合に明記)

母父としての産駒

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グレード制重賞優勝馬

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地方重賞優勝馬

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エピソード

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フジキセキ
1995年にダービー馬確実と言われながらも、弥生賞後に故障を発生して引退したフジキセキとは騎手・調教師・担当厩務員・馬主がすべて同じだった。また、フジキセキが成し得なかったダービー制覇で、マスコミが「フジキセキの無念を晴らした」と大々的に報じている。
ウェブサイト
現役当時、馬主である齊藤四方司の「応援してくれるファンのためにお礼がしたい」という意向により、馬自身の公式サイト「ジャングルポケットワールド」(現在は更新終了)が運営されていた。
お笑いトリオ
お笑いトリオの「ジャングルポケット」の名前の由来は当馬である。命名したのは競馬好きで知られるボケ担当の斉藤慎二
命名のきっかけは単に「当時活躍していた馬だから」であったが、その後インタビューで受けた「ジャングルポケットが府中巧者(東京競馬場が得意な馬)だから『東京では負けない』という思いを込めてのことか」という質問をきっかけに、現在ではその意味も併せ持つようになっている。

血統表

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ジャングルポケット血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ゼダーン系

*トニービン
Tony Bin
1983 鹿毛
アイルランド
父の父
*カンパラ
Kampala
1976 黒鹿毛
イギリス
Kalamoun *ゼダーン Zeddaan
Khairunissa
State Pension *オンリーフォアライフ Only for Life
Lorelei
父の母
Severn Bridge
1965 栗毛
イギリス
Hornbeam Hyperion
Thicket
Priddy Fair Preciptic
Campanette

*ダンスチャーマー
Dance Charmer
1990 黒鹿毛
アメリカ
Nureyev
1977 鹿毛
アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
母の母
Skillful Joy
1979 栗毛
アメリカ
Nodouble Noholme
Abla-Jay
Skillful Miss Daryl's Joy
Poliniss F-No.11-g
母系(F-No.) 11号族(FN:11-g) [§ 2]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 3]
出典
  1. ^ JBISサーチ ジャングルポケット 5代血統表2016年7月18日閲覧。
  2. ^ JBISサーチ ジャングルポケット 5代血統表2016年7月18日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ ジャングルポケット 5代血統表2016年7月18日閲覧。

母ダンスチャーマーは不出走馬。ジャングルポケットのいとこに2012年の函館2歳ステークスのストークアンドレイ・同じくいとこに2012年の北海道2歳優駿のアルムダプタ。祖母 Skillful Joy はアメリカでグレードレースを2勝した活躍馬で、Skillful Joy のいとこにアメリカでG1を6勝した Precisionist がいる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 当初は齊藤の単独所有であったが、2001年7月30日付で吉田照哉・勝己の両氏が馬主に加わった[3]。その後2002年11月8日付で代表馬主が吉田勝己となり[4]、以降のレースでは勝己の勝負服で出走している。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ジャングルポケット|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年2月6日閲覧。
  2. ^ “ジャングルポケット、23歳で死す 01年ダービー、JC制覇 種牡馬としてもG1馬6頭送り出す”. Sponichi Annex. (2021年3月3日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2021/03/03/kiji/20210303s00004000070000c.html 2021年3月8日閲覧。 
  3. ^ 所有権移転情報(栗・美01/07/30~01/08/30)”. 国内競馬情報. 競馬文化フォーラム (2001年9月15日). 2004年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月25日閲覧。
  4. ^ 所有権移転情報(栗美02/09/25~02/12/15)”. 国内競馬情報. 競馬文化フォーラム (2002年12月18日). 2004年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月25日閲覧。
  5. ^ 優駿』、日本中央競馬会、2002年2月、70頁。 
  6. ^ 優駿』、日本中央競馬会、2003年2月、77頁。 
  7. ^ “[https://jra-van.jp/fun/memorial/1998101786.html �W�����O���|�P�b�g�b���n�������A���b���n���Ȃ�JRA-VAN]”. JRA-VAN. 2024年9月3日閲覧。
  8. ^ 競走成績:全競走成績|ジャングルポケット|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年3月2日閲覧。
  9. ^ ジャングルポケットの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年3月2日閲覧。
  10. ^ 『優駿』2013年2月号、161頁。 
  11. ^ ジャングルポケットが種牡馬引退、2001年ダービー馬”. 競馬ブック. 2022年3月12日閲覧。
  12. ^ 01年日本ダービー馬ジャングルポケットが死亡 - Sponichi Annex 2021年3月2日
  13. ^ ジャガーメイル”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  14. ^ クィーンスプマンテ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  15. ^ オウケンブルースリ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  16. ^ トールポピー”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  17. ^ トーセンジョーダン”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  18. ^ アヴェンチュラ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  19. ^ アウォーディー”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  20. ^ ディアドムス”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  21. ^ タスカータソルテ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  22. ^ フサイチホウオー”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  23. ^ トーセンキャプテン”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  24. ^ ルルパンブルー”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  25. ^ シェーンヴァルト”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  26. ^ アプリコットフィズ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  27. ^ ダイワファルコン”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  28. ^ マジカルポケット”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  29. ^ ヴェルデグリーン”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  30. ^ エアソミュール”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  31. ^ ダービーフィズ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  32. ^ ティリアンパープル”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  33. ^ ジャングルスマイル”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  34. ^ マイウエイ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  35. ^ リワードアリオン”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  36. ^ ココロバ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  37. ^ ヒショウ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  38. ^ コスモプランタン”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  39. ^ トニーポケット”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  40. ^ シェイプリー”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  41. ^ ブレークビーツ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  42. ^ アクロマティック”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
  43. ^ フジノロケット”. JBISサーチ. 2021年6月4日閲覧。
  44. ^ ナニハサテオキ”. JBISサーチ. 2024年9月1日閲覧。
  45. ^ Jungle Rocket”. RACING POST. 2017年10月25日閲覧。
  46. ^ ソルヴェイグ”. JBISサーチ. 2017年10月25日閲覧。
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  48. ^ サクセスエナジー”. JBISサーチ. 2023年9月18日閲覧。
  49. ^ フルデプスリーダー”. JBISサーチ. 2022年8月7日閲覧。

外部リンク

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