ジャン・ミトリ(Jean Mitry、本名Jean-René-Pierre Goetgheluck Le Rouge Tillard des Acres de Presfontaines、1907年11月7日 ソワソン - 1988年1月18日 ラ・ガランヌ=コロンブ)は、フランスのもっとも重要で国際的な名声を得ている映画批評家・映画理論家であり映画作家。シネマテーク・フランセーズの共同設立者としても知られる。
高等映画学院(IDHEC)とモントリオール大学、パリ第一大学で教鞭をとっていた。
第七芸術についての数々の作品の作家であり、それは、シネアストたちに関する12の研究論文、『映画における美学と心理学 Esthétique et psychologie du cinéma』(1963年 - 1965年)、5巻にわたる映画史(1960年 - 1970年)、そして、クリスチャン・メッツ(Christian Metz)について扱った『記号学の問題 la sémiologie en question』(1987年)である。
実験的短篇映画の演出も行なっている。もっとも知られているものは、『パシフィック231 Pacific 231』である。アルテュール・オネゲルの音楽についての映画であり、1949年に公開され、同年カンヌ国際映画祭(festival de Cannes 1949)最優秀編集賞を獲得した。1952年の短編映画、アレクサンドル・アストリュック(Alexandre Astruc)監督の『恋ざんげ Le Rideau cramoisi』の編集のために、カンヌ国際映画祭のコンペティション外に参加した。