ジョアキム・ミール Joaquim Mir | |
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生誕 |
1873年1月6日 スペイン・バルセロナ |
死没 |
1940年4月27日 スペイン・バルセロナ |
ジョアキム・ミール(カタルーニャ語表記: Joaquim Mir i Trinxet、スペイン語表記: Joaquín Mir y Trinxet、1873年1月6日 - 1940年4月27日)はスペインの画家である。19世紀末から興った「カタルーニャ・モデルニスモ」を代表する画家とされ、鮮やかな色彩の風景画を描いた。
バルセロナに生まれた。バルセロナの美術学校 (Escola de Belles Arts de Barcelona) で学んだが、中退した。1893年にイシドラ・ノネイやリカルド・カナルス、ラモン・ピチョット、Juli Vallmitjana、アドリアー・グアルといった若い画家たちと「Colla del Safrà(サフラン色の会)」または「pandilla de Sant Martí(サンマルティ派)」と呼ばれる美術家グループを結成した。
1901年に有力なバルセロナの実業家の叔父、Avelino Trinxet邸(Casa Trinxet)の装飾画を描いた[1]。1901年には、「カタルーニャ・モデルニスモ」を推進した画家、文学者のサンティアゴ・ルシニョールとマヨルカ島へ旅し、海岸の村 Sa Calobra に滞在し、島の風景を描いた。1900年からマヨルカ島に滞在していたベルギーの象徴主義の画家、ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンクとも知り合い影響を受けたともされる。
1904年にノイローゼになって1905年から1906年の間はタラゴナ県のレウスの病院で治療を受け[2]、1906年にタラゴナ県の L'Aleixar などの風景を描き、風景画家として認められるようになった。1913年から Mollet del Vallès に住み、1918年から Caldas de Montbui に住んだ。1921年に結婚し、ビラノバ・イ・ラ・ジャルトルに住んだ。その後もカタルーニャの各地やアンドラなどで活動した。