ジョッキークラブ(Jockey Club)は、イギリスの競馬に関するあらゆる業務を統括していた法人組織である。
1993年、英国競馬公社(BHB)に懲罰部門など一部を除く競馬の統括権限が、その後2006年には競馬監理機構(HRA)に統括機能が全て移譲された。
1750年ごろにロンドンのスター・アンド・ガーターにて結成、1752年に本拠をニューマーケットに移した。 当初は貴族の間の競馬同好会に過ぎなかったともされるが、1758年に後検量を義務付ける最初の命令を出すと、1762年には騎手の服飾登録に関する命令を公示するなど積極的に活動を展開した。
18世紀末までには、近代競馬の基礎となる制度、規則をほぼ確立した。また同時期には、ジェームズ・ウェザビーに権限を委ね、レーシングカレンダー、ジェネラルスタッドブックを公刊。競馬の根幹をなす各種成績及び競走馬の血統の統一した記録の整理、編纂を行っている。当初は誰もが命令に従っていたわけではなかったが、1791年におきたエスケープ事件で、当時皇太子のジョージ4世が犯した不正にも毅然とした態度をとったことから信頼、権威を獲得。19世紀半ばには、全国各競馬場でジョッキークラブの定めた規則が受容されるようになった。
以降、イギリス競馬の唯一の統括機関として、私的団体ながら独占的に権限を行使したが、1970年にロイヤルチャーター(王室勅許の称号)を得て法人格を取得したことで、権限に法的根拠が必要となった。これによって、1993年に英国競馬公社に対して懲罰部門など一部を除く競馬の統括権限を移譲。さらに2006年には、競馬監理機構に残る権限も移譲し、約250年携わった競馬の統括業務から完全に離れることとなった。しかし、移譲先の2団体も英国競馬統括機構(BHA)が設立された翌2007年に消滅し、現在は全部門が英国競馬統括機構に一本化して再度移譲された。
などを子会社を通じ行っている。