ジョディ・パウエル Jody Powell | |
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生年月日 | 1943年9月30日 |
出生地 | アメリカ合衆国ジョージア州コーディール |
没年月日 | 2009年9月14日(65歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国メリーランド州イースタン・ショア |
出身校 |
空軍士官学校 ジョージア州立大学(B.A.) エモリー大学(M.A.) |
所属政党 | 民主党 |
配偶者 | Nan Sue Jared Powell |
子女 | Emily Boddy |
第14代ホワイトハウス報道官 | |
内閣 | ジミー・カーター政権 |
在任期間 | 1977年1月20日 - 1981年1月20日 |
"ジョディ" ジョゼフ・レスター・パウエル・ジュニア(Joseph Lester "Jody" Powell, Jr., 1943年9月30日 - 2009年9月14日)は、ジミー・カーター政権時のアメリカ合衆国ホワイトハウス報道官[1]。退任後、PR会社を経営した。
ジョージア州コーディールに生まれ[2]、カーターの故郷プレインズ[1]から35マイル(約56キロメートル)東にあるヴィエンナの農家で育つ。1961年、空軍士官学校に入学したが、3年後に歴史の試験で不正を行い退学処分を受ける[1]。1966年、ジョージア州立大学の学士課程を卒業後、エモリー大学で政治学の博士課程に進み、修了前に学内規定によりM.A.を得る[1]。
在学中の1969年、カーターのジョージア州知事選の選挙運動に参加[3]。運転手や雑用係として州内のさまざまな遊説先へ同行した。カーターの親友となり事実上の秘書役を務めていたが、結果的にエモリー大学を研究途上で辞め、カーターのためにフルタイムで働くことにした[1]。
1976年、カーターにとって初の大統領選の選挙運動では、パウエルが道端からでも公衆電話で報道陣に連絡を取り、運動の成果が着実に出ているのを確かめたことが知られている[1]。雑誌『タイム』は、カーターが当選すればパウエルは「顧問と報道官の2役」をこなすことになるだろうとの見立てを報じた[1]。
選挙後にパウエルは、国政経験がないにもかかわらず、州知事時代からカーターを支え政権高官に就いた腹心ら「ジョージアマフィア」の一員とみなされた[4]。1977年、『タイム』表紙の風刺画に、パウエルと大統領首席補佐官ハミルトン・ジョーダンが登場[5]、『ローリング・ストーン』の表紙にも描かれ、カーターの「狂った子供」と呼ばれた[6]。パウエルは1981年にホワイトハウス報道官を退任。カーターの大統領任期全てを報道官として支えた。
1985年、回顧録The Other Side of the Storyを出版。この中で、1979年にカーターがボート乗船中、「必死にボートによじ登ろうとする」ヌマチウサギに出くわした「ウサギ事件」について、パウエル自身がAP通信にリークしたと明らかにした[7]。
1990年、PBSのドキュメンタリーシリーズThe Civil War(『南北戦争』、ケン・バーンズ監督)に出演し独特な声を生かして、南軍人、特にストーンウォール・ジャクソンやジョン・B・ゴードンを演じた。
1981年、ナンシー・レーガン大統領夫人の報道官を務めたシーラ・テートと共同で、PR会社Powell TateをワシントンD.C.に設立。パウエルは亡くなるまで同社の最高経営責任者を務めた[6][8][9]。また、特殊作戦兵士基金の諮問委員会のメンバーでもあった[9]。
2009年9月14日、メリーランド州イースタン・ショアの自宅で心筋梗塞のため死去[6]。
公職 | ||
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先代 ロン・ネッセン |
ホワイトハウス報道官 1977–1981 |
次代 ジェイムズ・ブレイディ |