ジョニー・ロッズ | |
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October 25, 2008 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ジョニー・ロッズ ジャバ・ルーク スーパー・メディコ2号 |
本名 | ジョニー・ロドリゲス |
ニックネーム | 黒豹 |
身長 | 173cm |
体重 | 100kg(全盛時) |
誕生日 | 1938年5月16日(86歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
デビュー | 1964年 |
ジョニー・ロッズ("The Unpredictable" Johnny Rodz、本名:Johnny Rodriguez、1938年5月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ニューヨーク州ニューヨークシティ出身のプエルトリコ系アメリカ人。
現役時代は地元ニューヨークのWWWF / WWFを主戦場にヒールのジョバーとして活躍[1]。引退後はトレーナーとなって数々のレスラーを育てた[1]。
ブルックリンのYMCAでレスリングを学び[2]、1964年のデビュー以降、長きに渡ってWWWFの前座要員として活動。1974年4月1日にはジャンボ鶴田のマディソン・スクエア・ガーデンにおける対戦相手を務め[3]、同年5月に全日本プロレスに初来日した。1975年11月17日には、MSGに初登場したビル・ロビンソンのジョバーにも起用されている[3]。
NWAロサンゼルス地区ではアラブ人ギミックのジャバ・ルーク("Arabian Wildman" Java Ruuk)に変身。1976年1月16日に行われた同地区恒例のアニュアル・バトルロイヤルでは、アンドレ・ザ・ジャイアント、パット・パターソン、アーニー・ラッド、ジョン・トロス、グレッグ・バレンタイン、ボブ・オートン・ジュニア、ロディ・パイパー、チャボ・ゲレロ、ポークチョップ・キャッシュ、ブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアスらを抑え優勝を果たしている[4]。
ニューヨークに戻ると再びジョニー・ロッズ名義で活動し、1979年1月22日のMSG定期戦では藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦[5]。並行してジャバ・ルーク名義でカナダのモントリオールにも遠征し、ジノ・ブリットらが主宰していたインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)にて、1980年2月11日にエドワード・カーペンティアからカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を奪取した[6]。
以降も1980年代半ば頃までWWFでジョバーを務め、ボブ・バックランド、ペドロ・モラレス、イワン・プトスキー、ティト・サンタナ、トニー・アトラス、リッキー・スティムボート、ジミー・スヌーカなどスター選手の引き立て役・売り出し役を担い続けた。プエルトリコのWWCにも参戦し、スーパー・メディコ1号ことカルロス・ホセ・エストラーダのパートナーとして、覆面レスラーのスーパー・メディコ2号(Super Médico II)に変身[7]。1983年9月10日にモラレス&カルロス・コロンからWWC世界タッグ王座を奪取した[8]。なお、ロッズはエストラーダの実兄とされている[9]。
引退後はブルックリンのグリーソンズ・ジムにて後進の指導・育成に注力(現役選手時代にも、トレーナーとしてS・D・ジョーンズらを指導していた[10])。1996年11月、プロレス界における功績を称えWWE殿堂に迎えられた(インダクターはアーノルド・スコーラン)。
2007年3月には、弟子であるチーム3Dのセコンド役としてTNAの "Destination X" に登場した。