ジョン・グラハム(John Graham, 1774年 - 1820年7月31日)は、アメリカ合衆国の外交官。
1774年、グラハムはバージニア植民地のダンフリースにおいて、リチャード・グラハム (Richard Graham, 1730-1796) とジェイン・ブレント (Jane Brent, 1738-1817) の次男として誕生した[1][2]。
グラハムはケンタッキー州に移住し、ルイス郡から州議会議員に選出された[2]。グラハムはその後、国務省外交部に入省した。グラハムは1801年にスペインのマドリードで合衆国公使館の書記官となった。グラハムは間もなく代理公使となり、1803年までスペインに駐在した。1804年、合衆国に帰国したグラハムはルイジアナ準州知事ウィリアム・チャールズ・コール・クレイボーンから秘書官に指名された。グラハムはルイジアナ準州に移り住み、1807年まで秘書官を務めた[3]。
1807年7月、グラハムは国務省首席事務官に選任された。グラハムは1817年7月まで国務省首席事務官を務めた[4]。1817年3月には首席事務官として国務長官代行も務めた[5]。1819年1月、グラハムは駐ポルトガル全権公使に任命された。当時、ポルトガル宮廷はナポレオン軍を逃れてブラジルのリオ・デ・ジャネイロに移転しており、グラハムはリオ・デ・ジャネイロに赴任した。グラハムは1819年6月に信任状を奉呈した。グラハムは1920年6月まで全権公使を務めた[6]。
公職 | ||
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先代 ジェイコブ・ワグナー |
アメリカ合衆国国務省首席事務官 1807年7月1日 - 1817年7月18日 |
次代 ダニエル・ブレント |
先代 トマス・サムター |
在ポルトガルアメリカ合衆国全権公使 1819年6月24日 - 1820年6月13日 |
次代 ジョン・ジェイムズ・アップルトン |