デューク大学でのシャイヤー (2009年) | |
デューク・ブルーデビルズ HC | |
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役職 | ヘッドコーチ |
所属リーグ | ACC |
基本情報 | |
ヘブライ語 | ג'ון שייר |
国籍 |
アメリカ合衆国 イスラエル |
生年月日 | 1987年8月24日(37歳) |
出身地 | イリノイ州ノースブルック |
身長(現役時) | 196cm (6 ft 5 in) |
体重(現役時) | 86kg (190 lb) |
キャリア情報 | |
大学 | デューク大学 |
NBAドラフト | 2010年 / ドラフト外 |
プロ選手期間 | 2011年–2013年 |
ポジション | SG / PG |
背番号歴 | 30 |
指導者期間 | 2014年–現在 |
経歴 | |
選手時代: | |
2011 | リオグランデバレー・バイパーズ |
2011-2012 | マッカビ・テルアビブBC |
2012-2013 | CBグラン・カナリア |
コーチ時代: | |
2014-2018 | デューク大学 (アシスタント) |
2018-2022 | デューク大学 (アソシエイト) |
2022- | デューク大学 |
受賞歴 | |
選手時代
コーチ時代
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ジョナサン・ジェームズ・シャイヤー(Jonathan James Scheyer, 1987年8月24日 - )は、アメリカ合衆国・イリノイ州ノースブルック出身の元プロバスケットボール選手、バスケットボール指導者。NCAAのデューク大学でヘッドコーチを務めている。
3兄弟の末っ子として生まれる。父がユダヤ教を信仰しており、その影響で自身もバル・ミツワーとなった[1]。
高校時代はマクドナルド・オール・アメリカンに選出されるなど活躍した。複数の大学からオファーを受けた中で、デューク大学へ進学した。
大学でも主力として活躍し、4年目の2009-10シーズンにはセス・カリー、ランス・トーマスらと共にNCAAトーナメントで優勝した。この年のオフに伝染性単核球症に感染したため、NBAドラフトコンバインに参加できなかった。その後、ドラフト前に10チームとワークアウトを行なったが、2010年のNBAドラフトではどこからも指名されなかった。
ドラフト後に行われたサマーリーグにマイアミ・ヒートの一員として参加し、最初の試合で決勝点となるシュートを決めた。しかし、続くゴールデンステート・ウォリアーズ戦の試合中に相手のジョー・イングルスに右目を突かれ、視神経と網膜を損傷[2]。右瞼を5針縫う大怪我となったが、保護ゴーグルを着用し試合に復帰した[3]。
サマーリーグ終了後の2010年9月22日にロサンゼルス・クリッパーズのトレーニングキャンプに招待選手として参加したが、10月9日に解雇された[4]。その後痛めた目の治療のため数ヶ月療養し、2011年2月17日に海外の複数チームからのオファーを断り、Dリーグのリオグランデバレー・バイパーズと契約した[5]。Dリーグでは24試合に出場して平均13得点・4アシスト・4リバウンドの成績を記録し、チームもDリーグファイナルまで進出した[6]。
2011年6月にユーロリーグのマッカビ・テルアビブBCと2年45万ドルの契約を結んだ[7]。
チームにはシャイヤーを含めて5人のアメリカ人選手がいたが、イスラエル国籍を持たない選手は4人までしか在籍できないという規則があったため、父がイスラエル人であったシャイヤーがイスラエル国籍を取得した[8]。
2012年のサマーリーグにフィラデルフィア・76ersの一員として参加した。サマーリーグ終了後、リーガACBのCBグラン・カナリアと契約した。
2013年4月に現役を引退し、母校デューク大学でヘッドコーチを務める「コーチK」ことマイク・シャシェフスキーに誘われ、同大学のスペシャルアシスタントに就任。2014年4月18日にはアシスタントコーチとなり、2017-18シーズン終了後にはアソシエイトコーチに昇格した。
2021年6月2日に42年間ヘッドコーチを務めたコーチKが2021-22シーズンを最後に勇退し、シャイヤーが後任のヘッドコーチに就任することが発表された。そしてシーズン終了後、正式にヘッドコーチに就任した[9]。