ジョン・ニューマン | |
---|---|
![]() ニューマンはペヴズナー記念受託財団の議長を務めた。財団はペヴズナーを追悼する形でヨークシャー州のガートン・オン・ザ・ウォルズにあるセント・マイケル・アンド・オール・エンジェル教会の壁画修復に資金を提供した。 | |
生誕 |
ジョン・アーサー・ニューマン 1936年12月??日 |
死没 | 2023年4月19日 (86歳没) |
国籍 |
![]() |
出身校 |
ダリッジ・カレッジ オックスフォード大学 コートールド美術研究所 |
職業 | 建築史家 |
代表作 |
イングランドの建築物 ウェールズの建築物 |
ジョン・アーサー・ニューマン(英: John Arthur Newman、1936年12月[1][2] - 2023年4月19日[3])は、イングランド出身の建築史家。ペヴズナー建築ガイドシリーズを数冊執筆した著作家、およびシリーズの編集顧問でもある。
1936年に生まれたニューマン[4]はその人生の殆どをイングランドのケント州で過ごした。ダリッジ・カレッジとオックスフォード大学で教育を受け、そこでGreatsを専攻した。1959年、トンブリッジ・スクールで古典の教師となった。1963年、コートールド美術研究所で欧州美術史を学ぶために教職を退き、優秀な成績で卒業した。1966年にはコートールド美術研究所で正規の副講師に任命され、引退するまで教鞭を執った[5][6][7]。
コートールド美術研究所所属の研究者だった頃、ニコラウス・ペヴズナーが『イングランドの建築物』シリーズの仕事を引き受けていた時期に彼の運転手を務め[7]、『イングランドの建築物』シリーズはスコットランドやウェールズ、アイルランドを網羅した『ペヴズナー建築ガイド』として版を重ねている。ペヴズナーはニューマンにケント州の建築ガイドを調査・執筆することを勧め、1969年に出版された[5]。このシリーズの総編集長および事業計画の沿革立案者であるブリジット・チェリーはニューマンのことをペヴスナーの共著者の中で最も重要な人物であると称しており[8]、ペヴスナー自身もニューマンが担当したケント州編の2巻分を「全シリーズの中で最も優れている」と見なした[7]。
1975年から1985年にかけて、専門誌『建築の歴史』の名誉編集長を務めた[5]。さらには英国建築史家協会の執行委員も務めた[9]。1986年にペヴズナー記念受託財団の議長に就任し、ニコラウス卿を追悼する形でイースト・ライディング・オブ・ヨークシャーのガートン・オン・ザ・ウォルズにあるセント・マイケル・アンド・オール・エンジェル教会の壁画修復を引き受けた[10]。