ジョン・ルシアーノ・ネシュリング(John Luciano Neschling, 1947年5月13日 - )は、ブラジルの指揮者、作曲家[1][2][3][4]。
オーストリアからの移民[5]の息子として、リオデジャネイロに生まれる。17歳でウィーンに留学し、ハンス・スワロフスキーに指揮法を学び、タングルウッド音楽祭に参加してレナード・バーンスタインの指導も受けた。1969年にフィレンツェで開催された指揮者コンクール、1972年のロンドン交響楽団主宰の指揮者コンクール、1976年にミラノで開催されたグイド・カンテッリ国際指揮者コンクールのそれぞれで優勝[6]している。1983年から1988年までリスボン国立歌劇場の指揮者となり、1990年から1997年までスイスのザンクトガレン、1996年から1998年までフランスのボルドーの各歌劇場の指揮者を務めた。1992年から1994年までウィーン国立歌劇場の常任指揮者、1996年から1999年まではパレルモ大劇場の首席指揮者も兼務。1997年にはサンパウロ交響楽団の首席指揮者を引き受けたが、2009年に楽団事務局と衝突して辞任している。2013年にはサンパウロ市立劇場の音楽監督になったが、2016年に辞任している[7]。