ジョン・ハイズマン Jon Hiseman | |
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コロシアム - スイス・プラッテルン公演(2015年2月) | |
基本情報 | |
出生名 | Philip John Hiseman |
生誕 | 1944年6月21日 |
出身地 |
イングランド ロンドン・ウーリッジ |
死没 | 2018年6月12日(73歳没) |
ジャンル | ジャズ・ロック、ブルースロック、プログレッシブ・ロック |
職業 | ドラマー、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ドラムス、パーカッション |
活動期間 | 1965年 - 2018年 |
レーベル |
Kuckuck Schallplatten veraBra Records |
共同作業者 | グレアム・ボンド、ジョン・メイオール、コロシアム、テンペスト、コロシアムII、ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル、ほか |
公式サイト | Barbara Thompson & Jon Hiseman |
著名使用楽器 | |
パール製ドラムセット |
ジョン・ハイズマン(Jon Hiseman、1944年6月21日 - 2018年6月12日)は、イングランド・ロンドン出身のロック・ミュージシャン、ドラマー、音楽プロデューサー。
プログレッシブ・ロック・バンド「コロシアム」のリーダーとして知られる。
幼少の頃から楽器を習い、ハイスクール時代にデイヴ・グリーンスレイド(オルガン)やトニー・リーヴス(コントラバス)等と共にアマチュア・バンドを組むなど、ドラマーとして活動開始。
1964年頃から、リーヴス等と共にジャズ・ミュージシャンとしてプロ活動を始め、ニュー・ジャズ・オーケストラなど複数のジャズ・バンドに参加する。1966年、ジンジャー・ベイカーの後任として「グレアム・ボンド・オーガニゼーション」に加入し[注釈 1]、ディック・ヘクストール=スミス(サクソフォーン)と同僚になる[注釈 2]。
1967年頃には、「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」「マイク・テイラー」[1][2]「デイヴィ・グレアム」「ジャック・ブルース」等のシングルやアルバムに、録音やセッションで参加。1968年、「ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ」に加入し、メイオール、リーヴス(ベース)、ヘクストール=スミス、ミック・テイラー(ギター)と『ベア・ワイヤーズ』を発表した。
1968年夏、上述の知己であるリーヴス、グリーンスレイド、ヘクストール=スミスらと、プログレッシブ・ロックバンド「コロシアム」を結成。
コロシアムの解散後は、アラン・ホールズワースらと「テンペスト」、ゲイリー・ムーアらと「コロシアムII」を結成して、ハード・ロック / フュージョンの領域に進出[3]。1970年代後半からは、ジャズ・フュージョンバンド「ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル」に加入し、長年にわたって活動する。
1970年代から音楽プロデューサーも担当するようになり、同年代末からソロ・アルバムや妻バーバラ・トンプソン(サクソフォーン)のプロジェクトなどを手がけた。
各活動と並行して、1994年にコロシアムを再結成。
2004年には死去したヘクストール=スミスの後任に妻トンプソンを迎えた。2007年にメンバーとして来日。2015年を最後にコロシアムの活動を終了した[4]。
ジャズ・ドラマーとしてのテクニックとロックのパワフルさを合わせ持ち、その速度、タイム感覚の正確さと、巧みな4Way Controlが生み出すドラム・サウンドを持ち味とする。
近年はパール製のドラムセットを使用し、シンバルメーカーはパイステ製が確認されている。
妻はサクソフォーン奏者で後期コロシアムのメンバーでもあるバーバラ・トンプソン(Barbara Thompson)、娘はシンガーソングライターのアナ・グレーシー(Ana Gracey Hiseman)[6]。