ジョン・ハッチンソン(John Hutchinson、1884年4月7日 - 1972年9月8日)はイギリスの植物学者である。
イングランド北部のノーサンバーランドのWark on Tyneで生まれた。父親は庭師で、ハッチンソンも庭師になった。1904年に王立植物園(キューガーデン)で庭師となり、園長のジョセフ・ダルトン・フッカーに認められて、標本館で働くようになった。ダニエル・オリバー(Daniel Oliver)の『熱帯アフリカの植物』("Flora of Tropical Africa" :1868年)に共著者として参加し、いくつかの属について執筆した。
1926年と1934年に『顕花植物の科』("The Families of Flowering Plants")を執筆し、系統学的な分類法のさきがけとなったが、ハッチソンの分類法は現在では、大部分廃止されている。
1927年から1936年には、ジョン・マクエヴァン・ダルジール(John McEwan Dalziel)とともに、6000の種の詳細を記述し、多くの図版が添付された『西部熱帯アフリカの植物』("Flora of West Tropical Africa")を執筆した。
1828年8月から1929年の4月までと、1930年の6月から9月までの2度、南アフリカの調査旅行をおこなった。
1936年から退職する1948年まで、キューガーデンのキーパーをつとめ、退職後も分類学の著書を執筆するが、評価されなかった。
1947年に王立協会のフェローに選ばれ、1965年にはロンドン・リンネ協会のリンネ・メダルを受賞した。