ジョン・リグビー (政治家)

"Mr Solicitor"

1893年8月31日のバニティ・フェアカリカチュア
"a blunt Lord Justice"

1901年3月のバニティ・フェアのSpy(レスリー・ウォード)によるカリカチュア。

サー・ジョン・リグビー: Sir John Rigby (1834-01-08) 1834年1月8日 - 1903年6月26日(1903-06-26) )は、イギリスの裁判官、1885年から1894年まで庶民院議員を務めた自由党政治家

生い立ちと教育

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チェシャーランカーン英語版にて、ハルトン英語版のトマス・リグビー(Thomas Rigby)とエリザベス・ケンダル(Elizabeth Kendal)の息子として生まれた[1]リヴァプール・カレッジ英語版に通い、1953年にトリニティ・カレッジに入学した。1856年セカンド・ラングラー英語版としてカレッジを卒業した。また、年内2つ目のスミス賞を授与された。1856年カレッジのフェローに選出され、1860年リンカーン法曹院弁護士の資格を得た英語版[2][3]

法学の経歴

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リグビーがどのようにして弁護士になったかという話はドンフォード・イエーツ英語版の1958年の伝記“B-berry and I Look Back”の120頁で見ることができる。1875年、リグビーは大蔵省の普通弁護士に指名された[3]。1881年、リグビーは勅撰弁護士英語版になった("took silk")[3]。彼は並の弁護士ではなく、 貴族院司法委員会の上訴に頻繁に関与した[3]自由党国会議員に短いながらも2度所属していた。1885年イギリス総選挙英語版では、ウィズビーチ選挙区英語版でMPとして当選したが、1886年イギリス総選挙英語版で敗退した[4]

1892年イギリス総選挙英語版で議会に返り咲き、スコットランドで与党から議席を獲得した自由党員の1人となった。また自由統一党ジェームズ・ウィリアム・バークレー英語版を退けて、フォーファーシャー選挙区英語版の代表になった[3]イングランド法務次官英語版に抜擢され、1892年11月26日ナイトを叙された[5]。1894年イングランド法務長官になった[3]

1894年10月19日、庶民院議席を離れ、控訴院裁判官英語版を任ぜられた。同時に枢密院に入った[2][3][6]。 1901年の退職まで控訴裁判所に従事し[3]、年賦金£3,500を約束された[7]

裁判

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  • The Satanita英語版 [1897] AC 59 - イングランドの法の、従来の申し出と受容のパターンとは異なる非典型的な契約法のケース。リグビーの判決は上訴委員会英語版に承認された。

私生活

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紋章の盾[8]

退職より数年前、リグビーはひどい転落に見舞われ、健康が完全に回復することはなかった。1903年7月、チェルシー・エンバークメント英語版の家で没した(享年69)[3]

出典

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  1. ^ Debretts Guide to the House of Commons 1886
  2. ^ a b "Rigby, John (RGBY852J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b c d e f g h i “Death of Sir John Rigby”. The Times: p. 6. (27 July 1903) 
  4. ^ Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Sir John Rigby(英語)
  5. ^ "No. 26351". The London Gazette (英語). 6 December 1892. p. 7153.
  6. ^ "No. 26563". The London Gazette (英語). 23 October 1894. p. 5928.
  7. ^ "No. 27372". The London Gazette (英語). 5 November 1901. p. 7144.
  8. ^ Wc26 Rigby, J replacement”. Baz Manning (16 April 2011). 29 May 2020閲覧。

外部リンク

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グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
新設選挙区 ウィズビーチ英語版国会議員
1885年英語版1886年英語版
次代
チャールズ・ウィリアム・セルウィン英語版
先代
ジェームズ・ウィリアム・バークレー英語版
フォーカーシャー英語版国会議員
1892年英語版1894年英語版
次代
チャールズ・マウレ・ラムゼー英語版
司法職
先代
サー・エドワード・クラーク英語版
法務次官英語版
1892–1894
次代
サー・ロバート・リード英語版
先代
サー・チャールズ・ラッセル英語版
法務長官
1894
次代
サー・ロバート・リード英語版