ジョージ・ジョンソン George Johnson | |
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生誕 | 1903年 |
死没 | 1980年 |
所属組織 |
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軍歴 | 1925年 - 1957年 |
最終階級 | 少将 |
サー・ジョージ・フレデリック・ジョンソン(英語: Sir George Frederick Johnson, KCVO, CB, CBE, DSO、1903年 - 1980年)は、イギリス陸軍の軍人。第二次世界大戦に従軍し、戦後は幾つかの要職を務めた。最終階級は少将。
サンドハースト王立陸軍大学を卒業後、少尉に任官されて1925年に近衛スコットランド連隊に入隊[1]。1939年にロンドン管区の参謀となる[1]。
第二次大戦緒戦には、近衛スコットランド連隊第3大隊の大隊長として従軍[1]。続いて近衛第201自動車旅団長となったが、1942年に北アフリカでの西方砂漠戦の最中にイタリア軍の捕虜となる。イタリアに移送されたが、翌1943年に脱走に成功[1]。その後は近衛第32旅団の指揮を執り、西部戦線で戦った[1]。
1947年に駐パレスチナの第1独立旅団群指揮官となる[1]。1949年にスコットランド司令部参謀長に補職される。1953年、王室師団長兼ロンドン管区総司令官となる[1]。1957年に退役。
1966年にカンバーランド州長官に任命された[2]。1980年に死去。
イングランド北西部・カンブリア地方のブランプトン付近のCamboglannaに住んだ[3]。家族は1938年に結婚した妻アイーダ・メアリー・ラムゼイ嬢(第14代ダルハウジー伯爵アーサー・ラムゼイの第二子)との間に娘一人と息子二人[3]。
軍職 | ||
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先代 サー・ジュリアン・ガスコイン |
王室師団長 1953年–1957年 |
次代 サー・ロドニー・ムーア |