ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト3世

ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト3世
生誕 (1914-09-23) 1914年9月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロードアイランド州ニューポート
死没 1961年6月24日(1961-06-24)(47歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコマーク・ホプキンス・ホテル
教育 セントポール学舎
アディロンダック・フロルダ学校(英語)
配偶者
ルイーズ・パーソンズ
(結婚 1935年; 離婚 1950年)
(Louise Parsons)
アニータ・Z・ハワード
(結婚 1950年; 離婚 1958年)
(Anita Zabala Howard)
ジョイス・ブラニング (結婚 1958年⁠–⁠1961年)
(Joyce Branning)
ルイーズ・M・ペイン (結婚 1961年⁠–⁠1961年)
(Louise Mitchell Paine)
子供 1
アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト
マーガレット・エマーソン(Margaret Emerson)
受賞 レジオン・オブ・メリット
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ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト: George Washington Vanderbilt III 1914年9月23日 - 1961年6月24日)は、アメリカのヨットマン兼、科学探検家。著名なヴァンダービルト家の一員である。

幼少期から青年期

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ロードアイランド州ニューポート生まれ、両親アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトとマーガレット・エマーソンの二男、兄はアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト・ジュニア、父の初婚の相手エレン・「エルシー」・フレンチとの息子はウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトIIIは異母兄である。1915年、1歳足らずで父をRMSルシタニア沈没事故で亡くし、息子に4000万アメリカドル(2020年時点の貨幣価値で9億9065万7895ドル相当)

を遺贈する。遺産は4回に分けて渡され、初回はジョージが21歳になった時、その後、25歳、30歳、35歳で受け取った[1][1]。生母マーガレットは2回再婚、ジョージには最初の義父レイモンド・T・ベイカー(Raymond T. Baker)と母の間に異母妹のグロリア(ベイカー、1920年–1975年)がある。2番目の義父はチャールズ・ミノット・エイモリーといった。

ヴァンダービルトの祖父母はコーネリアス・ヴァンダービルトIIアリス・クレイプール・グウィンであり、祖父の叔父ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルトとその後継者で自身の大叔父にあたるジョージ・ワシントン・ヴァンダービルトIIから名前をもらった。ヴァンダービルトの母方の祖父はアイザック・エドワード・エマーソン(Isaac_Edward_Emerson)という実業家で、誰でも知っている「ブロモセルツァー」Bromo-Seltzerなど特許薬英語版を初め、さまざまな事業で成功した富豪であった。その祖父はヨットを愛好し、幼いジョージにスポーツへの愛情を植え付けたのはこの人物である。成人したヴァンダービルトは祖父譲りの航海術と父から相続した富を、科学研究に活用した。

学業はセントポールズ・スクール(ニューハンプシャー州コンコード)とアディロンダック=フロリダスクール(ニューヨークとマイアミ)に通った[2]

1904年におじのウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世が設立して中断していた自動車レースに資金を提供して再開させ、1936年と1937年にヴァンダービルト杯が催された[3]

第二次世界大戦中、2人の兄と同様にアメリカ海軍に勤めたヴァンダービルトは、1943年5月1日に中尉に昇進[1]、功勲に対してレジオン・オブ・メリット章を受けた[2]

科学研究

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ヴァンダービルトは大学に進まず、21歳になるとパナマアフリカに2回目の遠征を率いている。最長10ヵ月の調査行は標本を採取し、さまざまなヘビ魚類昆虫鳥類をアメリカにもたらした[1]。1937年の遠征はフィラデルフィア自然科学アカデミーの委嘱で南洋におもむき、6ヵ月で持ち帰った標本は2万個体におよぶ[1]。ヴァンダービルト所有の外洋航海用ヨットは数隻あり、世界各地で展開した科学探検のうち、アフリカ調査(1934年)は重要な成果をあげた。南太平洋の広い範囲を渡った「ヴァンダービルトのスマトラ探検」(1937年George_Vanderbilt_Sumatran_Expedition)ではスクーナー船の自艇「クレシダ」で多くの島を訪れ標本を採取した。魚類の個体数は1万点超 (210属434種)に達し、系統だった分類の研究に寄与した。

規模にして5番目の遠征は1941年、スクーナー船「パイオニア」で出帆し、バハマカリブ海パナマガラパゴス諸島から太平洋側へ進むとメキシコ領の島々に至った[1]。ジョージ・ヴァンダービルト財団を設立し会長を務めると、生物海洋学に関する科学的研究に捧げた[1]。ただし、これら科学界への貢献も、学界を離れると親戚一門が送るぜいたくな生活や、ヴァンダービルト邸に象徴される富裕さにばかり目が注がれがちであった。

私生活

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アルカディアの地所(Arcadia_Plantation、サウスカロライナ州ジョージタウン郡

ジョージ・ヴァンダービルトは4人の女性を妻にし、1935年にまずルイーズ・「ルル」・ミリアム・パーソンズ(1912年–2013年)と結婚した[4][5]。ニュージャージー州モントクレア生まれ、岳父J・レスター・パーソンズは再保険会社クラム・アンド・フォースターの創業者であった(1896年創業、現Fairfax_Financial[6]。)ジョージとルイーズ・ヴァンダービルトの娘はルシール・マーガレット・ヴァンダービルト(1938年-2018年)という[注釈 1]

ジョージとルイーズは1950年[2]に離婚[10][注釈 2]。同年、ジョージ・ヴァンダービルトはサウスカロライナ州の自邸アーケイディア荘Arcadia_Plantationでアニタ・C・ザバラ・ハワード[注釈 3]と結婚式を挙げた(8年後の1958年に離婚[11])。

ヴァンダービルトの3度目(1958年)の結婚相手はジョイス・「ジョシュ」・ブラニング(1926年–2016年)[12]。ラルフとエニド・ブラニングの娘[13][13]である[注釈 4]

1961年3月23日、ヴァンダービルトはアリゾナ州スコッツデールでルイーズ・ミッチェル・ペインと結婚した[2]アメリカ小児がん基金英語版の理事で、父はハロルド・E・ミッチェル[注釈 5]。同年6月にヴァンダービルトを亡くし、生活を共にしたのは3ヵ月のみだった[1]

居宅

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ロングアイランド湾に面したサンズ岬にヴァンダービルトは1935年、最初の結婚直後に32エーカー (13 ha) の地所を手に入れた。このミドルネック通り英語版の土地には旧チャールズ・W・スローン邸があった[17]。2年後の1937年には上流社会で評判の建築会社トレノー・アンド・ファティオ(Treanor&Fatio)に屋敷の新築を発注[18]、1945年にレストランチェーン「ロングチャンプ英語版」の創設者ヘンリー・ラスティグに譲った[17]

1,500エーカー (610 ha) の原野をカリフォルニア州北部シスキュー郡シャスティーナ湖畔英語版に購入したのは1946年で、シャスタ=トリニティ国有林英語版に近い[19]。ここに通称「シャドウバレー・ランチ」という、牧場主の住まいをなぞった大きな家を建てさせ、1949年には来客用コテージのほか馬車倉庫、テニスコートや乗馬コース、倉庫に加えて滝が揃った[20]。当時の著名人を招くと、政治家のハリー・トルーマンほか、映画界からジョン・ウェインオードリー・ヘプバーンスペンサー・トレイシークラーク・ゲーブルアラン・ラッドジンジャー・ロジャースなどが宿泊している[21][注釈 6]

ハワイにも25年住み(ホノルル)、サウスカロライナ州ジョージタウンには1906年に祖父エマーソン博士が購入したアーケイディア・プランテーションを所有した[2][23]

旧蔵のヨット「パイオニア」は現在「ヤンキークリッパー」と改称、客船としてカリブ海をめぐるウィンドジャマー・ベアフット・クルーズが運行する[24]

死去

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1961年6月24日、ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルトはカリフォルニア州サンフランシスコマーク・ホプキンス・ホテル英語版10階のスイートから投身自殺したとされ[1]血中アルコール濃度英語版が高かったという。夫は事業不振に落胆していたと述べた妻も、業種などは明かさなかった[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 最初の結婚でもうけた娘のルシール・マーガレット・ヴァンダービルトは、フィリップ・ブレイディ・ジュニア(1958年-1962年[7])、ロバート・マシューズ・ボールディング(1962年-1970年[8])と結婚、最後の夫ウォレス・フェンネル・ペイト(1933年-1993年[9])とは死別している。
  2. ^ 前妻ルイーズはロナルド・ブッシュ・ボルコム(1994年没)というスキー競技のチャンピオンと再婚。相手はミリセント・ロジャース(スタンダード石油相続人)の3番目の夫だった[6]
  3. ^ 2番目の妻アニタ・C・ザバラ・ハワードは、カリフォルニア州初のスペイン人の一門の出身で、前夫はスポーツ選手リンゼイ・C・ハワード。
  4. ^ ジョイス・「ジョシュ」・ブラニングはヴァンダービルトと離婚後、1963年にエドワード・L・ドヘニーIII(1999年没)の妻となる。相手はエドワード・L・ドヘニー(en:Edward_L._Doheny)の孫にあたる人物[13][14]
  5. ^ 最後の結婚相手はルイーズ・ミッチェル・ペインで、エドワード・ブラッグ・ペインと死別(1951年[15])し、マルコム・ダグラス・ハミルトン卿英語版と離別[16]
  6. ^ ヴァンダービルト未亡人は1990年にシャドウバレー・ランチを手放し[20]、2012年に火事で焼け落ちた[22]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j ニューヨークタイムズ 1961.
  2. ^ a b c d e ニューヨークタイムズ 1961, 「社交欄」.
  3. ^ Kroplick. “The Five Vanderbilt Cup Trophies (1904-2007)”. VanderbiltCupRaces.com. March 31, 2016閲覧。
  4. ^ ニューヨークタイムズ 1935, 「社交欄」.
  5. ^ ニューヨークタイムズ 2012, 「社交欄」.
  6. ^ a b Columbia、Hirch 2013.
  7. ^ ニューヨークタイムズ 1958, 「社交欄」.
  8. ^ ニューヨークタイムズ 1962, 「社交欄」.
  9. ^ Snoots, Tim. “Wallace F. Pate Memorial Fund | South Carolina Governor's Cup Billfishing Series” (英語). govcup.dnr.sc.gov. 13 October 2016閲覧。
  10. ^ ニューヨークタイムズ 1946, p. 23.
  11. ^ “Milestones, Jun. 2, 1958”. タイム. (2011-01-31). https://web.archive.org/web/20110131185109/http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,894001,00.html 2021年12月12日閲覧。. 
  12. ^ ニューヨークタイムズ 1958, p. 93.
  13. ^ a b c ロサンゼルス・タイムズ 2016, 「死亡欄」.
  14. ^ ニューヨークタイムズ 1963, p. 12.
  15. ^ ニューヨークタイムズ 1935, p. 76.
  16. ^ Yale Obituary Record, New Haven: Yale University, (1951–1952), pp. 116–7 
  17. ^ a b ニューヨークタイムズ 1945, p. 40.
  18. ^ The George W. Vanderbilt III Estate”. www.oldlongisland.com. Old Long Island. 13 October 2016閲覧。
  19. ^ Rohleder, Anna (30 November 2001). “Come To Her Window--And Door And Living Room...”. Forbes. https://www.forbes.com/2001/11/30/1130movers.html 13 October 2016閲覧。 
  20. ^ a b Szydlowski 2012.
  21. ^ Reed 2000.
  22. ^ Kinkade, Skye (January 11, 2012). “Old Vanderbilt estate destroyed by fire” (英語). Mount Shasta Herald. http://www.mtshastanews.com/article/20120111/news/301119971 13 October 2016閲覧。 
  23. ^ Arcadia Plantation, Georgetown County (off U.S. Hwy. 17, Waccamaw Neck). www.nationalregister.sc.gov (Report) (英語). 国立公文書館サウスカロライナ歴史部門(South Carolina Department of Archives and History). 2016年10月13日閲覧
  24. ^ Warner, Gary A (October 8, 2006). “Tall Sails, Tall Tales [高く帆をあげ、噂を吹聴して]” (英語). The Orange County Register. http://www.ocregister.com/articles/ship-4505-war-vanderbilt.html 13 October 2016閲覧。 

参考文献

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本文の典拠、執筆者の姓(発行者名)の順。

ニューヨークタイムズ
その他

関連項目

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外部リンク

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