ジョー・シャーロン 裘 小龍(Qiu Xiaolong) | |
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誕生 |
1953年 中国 上海 |
職業 | 推理作家、中国文学講師 |
ジャンル | 推理小説 |
主な受賞歴 | アンソニー賞 (en)(2001年) |
デビュー作 | 『上海の紅い死』 (en) |
公式サイト | http://www.qiuxiaolong.com/ |
ウィキポータル 文学 |
ジョー・シャーロン | |
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各種表記 | |
繁体字: | 裘小龍 |
簡体字: | 裘小龙 |
拼音: | Qiú Xiǎolóng |
和名表記: | きゅう しょうりゅう |
発音転記: | チウ シャオロン |
ジョー・シャーロン(Qiu Xiaolong、裘小龍、1953年 - )は、中華人民共和国・上海出身の小説家、推理作家、詩人。北京外国語大学で英米文学を学び、1988年よりアメリカ合衆国で生活している。
2000年、英語で執筆した推理小説『上海の紅い死』(Death of a Red Heroine)で小説家としてデビュー。以降も、同作に始まるチェン警部シリーズをアメリカで英語で発表し続けている。著作はフランス語やドイツ語、スペイン語、イタリア語、北欧の諸言語、中国語、日本語などに翻訳されている(もともとの英語版が刊行されず、フランス語訳版のみ刊行されている長編作品もある)。
名前の漢字表記の「裘小龍」は、日本語の読みでは「きゅう・しょうりゅう」、中国の共通語では「チウ・シャオロン」と読むが、アメリカでは英語風の発音で「ジョー・シャーロン」と自ら名乗っていることから、デビュー作の『上海の紅い死』の日本語訳版では、著者名の表記は「ジョー・シャーロン」とされた。
1953年、上海生まれ。小学生の時に文化大革命が始まり、香水ショップのオーナーだった父親はブルジョワと見なされ裁判にかけられた。英語を独学したのち、北京外国語大学で英米文学を学び、奨学金を得て1988年にミズーリ州セントルイス・ワシントン大学に留学。中国にいるころにすでに、詩や評論を発表したり翻訳を手掛けるなどしており、作家協会の会員にもなっていた。1989年に天安門事件が起きると、アメリカ合衆国に留まる決意をし、以降、セントルイス在住。ワシントン大学で中国文学を教えている。
2000年、デビュー作の『上海の紅い死』(Death of Red Heroine)を刊行。この作品は、上海警察殺人課の警部である陳操(チェン・カオ)[1]が活躍するミステリ作品。この作品で、アメリカのバウチャーコンで毎年実施されるアンソニー賞(en、1986年 - )の最優秀デビュー長編賞を受賞し、アメリカ探偵作家クラブの最優秀デビュー長編賞にもノミネートされた。
以来、チェン警部シリーズを次々と発表し、2010年までに7作品が刊行されている(うち、最新作はフランスで先行発売)。また、シリーズ外の短編集『Years of Red Dust』は、英語圏に先駆けてフランス、つづいてドイツで刊行されベストセラーになった。
チェン警部シリーズは中国語訳も刊行されているが、舞台が上海から「H city」に変更されるなど地名がすべて変更され、政治的に問題のある単語や文は削除されている[2]。
英語で執筆し、基本的にアメリカ合衆国で刊行。ただし一部、フランス語に訳したもののみ刊行されており、英語では刊行されていないものもある。
中国の詩を英訳している。