ジョー・ディートン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジョー・ディートン ジョエル・ディートン サンダーフット[1] |
本名 | ジョエル・ロフトン・ジョーンズ[2] |
身長 | 185cm[3] |
体重 | 110kg(全盛時)[3] |
誕生日 | 1957年4月9日(67歳)[2] |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州 スミス郡タイラー[2] |
トレーナー |
ネルソン・ロイヤル[1] ラーズ・アンダーソン[4] |
デビュー | 1977年[4]または1978年[3] |
ジョー・ディートン(Joe Deaton、本名:Joel Lofton Jones、1957年4月9日 ‐ )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州タイラー出身[2]。
1980年代後半から1990年代にかけて、全日本プロレスの常連中堅外国人として活躍した[3]。出身地はノースカロライナ州シャーロットともされる[3]。
野球選手を目指していたが、兄のデビッド "ホス" ディートンの勧めもあって1970年代後半にプロレス入り[3]。ジョエル・ディートン(Joel Deaton)と名乗り、キャリア初期はデビッドとのカウボーイ系ギミックの兄弟タッグチーム、ジ・アウトローズ(The Outlaws)としてNWAの南部テリトリーで活動[5]。ジョバーのポジションではあるが、フロリダのCWFでは1982年にジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコのブリスコ・ブラザーズとも対戦した[5]。
1983年より、ジム・クロケット・ジュニアが主宰していたNWAミッドアトランティック地区に転戦。リッキー・スティムボート、ボブ・オートン・ジュニア、ザ・グレート・カブキ、ロディ・パイパー、マイク・ロトンドらメインイベンターのジョバーを務めた[5]。以降、長期にわたり同地区のジョバー要員として、TVテーピングやハウス・ショーのアンダーカードに出場[6][7]。J・J・ディロンをマネージャーに迎え[1]、サンダーフット(Thunderfoot)なる覆面レスラーに変身したこともある[8]。
1987年8月、ジョー・ディートン(Joe Deaton)のリングネームで全日本プロレスに初来日[3]。全日本プロレス中継のディレクターの村上和彦[9]が、プロレスニュースなどで「いい奴」とのキャラクター付けをした結果[10]、人気が出てシリーズの参加回数が増えた[11]。
1991年7月18日、ビリー・ブラックと組んで小橋健太&ジョニー・エースからアジアタッグ王座を奪取[12]。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦には1990年にディック・スレーターと組んで初参加していたが、以降ブラックとのコンビで1991年と1992年に連続出場した[13]。
1990年代中盤は悪役商会と組む機会が増え、永源遙と同じピンクのタイツを履いて出場したり、ラッシャー木村とのマイク合戦を繰り広げたりなど、外国人選手として特異な地位を獲得した[14][15]。
1997年7月のWAR参戦[16]を最後に来日が途絶え、アメリカでもセミリタイア状態となっていたが[17]、2019年2月19日、ジャイアント馬場没後20年追善興行において22年ぶりの日本マット登場が実現[18]。当日はバトルロイヤルに参加した他[19]、アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退式ではブッチャーの車椅子を押していた[20]。なお、ブッチャーとは全日本プロレス参戦以前にも、サンダーフット変身時の1985年にNWAミッドアトランティック地区でタッグを組み、ロックンロール・エクスプレスが保持していたNWA世界タッグ王座に挑戦したことがある[21]。