スウィート75 Sweet 75 | |
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出身地 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック |
活動期間 | 1995年 - 2000年 |
レーベル | ゲフィン・レコード |
共同作業者 | ニルヴァーナ、ミニストリー、Shudder to Think、Sunshine Cake、アイズ・アドリフト |
旧メンバー |
クリス・ノヴォセリック イヴァ・ラス・ヴェガス ボビ・ロア ビル・リーフリン アダム・ウェイド ジーナ・メインウォール |
スウィート75(スウィートセヴンティーファイヴ、Sweet 75)は、ニルヴァーナの解散後、1995年にクリス・ノヴォセリックとイヴァ・ラス・ヴェガスによって結成されたバンド。2000年に解散する前に、1枚のセルフタイトル・アルバムをリリースした。
1994年にニルヴァーナが解散した後、クリス・ノヴォセリックはスウィート75を結成した。ノヴォセリックの妻が彼の誕生日パーティーで歌うために雇った、ベネズエラ生まれの女性ストリート・シンガー、イヴァ・ラス・ヴェガスに出会ったからだ[1]。ノヴォセリックは初め、歌手としての彼女のアルバムを作る計画をしていたが、一緒に曲を書いているうちに、セオドア・レトキの詩から命名したスウィート75を結成することにした[1]。ボビ・ロアがドラムに加わって、1995年にいくつかのライブを行い、ゲフィン・レコードと契約した。1996年には、1995年11月17日のライブの海賊盤が『Trucked Up Fuckstop』と呼ばれるタイトルで、Sea Monkeyというレコード会社からリリースされた。
セルフタイトルを付けたデビュー・アルバムをリリースする前に、ロアは元ミニストリーのドラマー、ビル・リーフリンと交代した。本作には、R.E.M.のピーター・バック、アニサ・ロメロ(Sky Cries Mary)、そしてハーブ・アルパートのゲスト・パフォーマンスが含まれている[1]。このアルバムはダイナソーJr.とのツアーの後、1997年までリリースされず[2]、その頃までにリーフリンは元ドラマーのアダム・ウェイドと交代し、商業的にも批評的にも大きなインパクトを与えられなかった。アルバムは「インディー・ロックとヘヴィ・ロック、メキシコの音楽、ラウンジ、そしてカントリー」を融合させたものとして表現された[3]。また、オーストラリアでは「Lay Me Down」という歌がシングルとして発表された[2]。そこには、アルバム・トラックの「Lay Me Down」と「La Vida」、そして未発表曲「Soap Zone」が収録された。
ウェイドは1997年10月にグループを去り、1998年初めに解散となった[2]。彼らはその年の後半にリーフリンをドラムに戻して2枚目のアルバムのデモをレコーディングしたが、ノヴォセリックとリーフリンが別のプロジェクト「Sunshine Cake」のためにアニサ・ロメロと一緒に過ごし始め、1999年半ばに再びバンドは分裂された[2]。2000年になって、セカンド・アルバムのさらなる制作が報告されたが、その年の8月までにバンドは「創造的な方向性の違い」を理由として円満解散された[1]。