スサーナ・ヒグチ Susana Higuchi | |
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(2011年) | |
生年月日 | 1950年4月26日 |
出生地 | ペルー, リマ |
没年月日 | 2021年12月8日(71歳没) |
死没地 | ペルー, リマ |
出身校 | 国立工科大学 |
前職 | ファーストレディ、政治家 |
所属政党 |
独立浄化戦線(2001-2005) ペルー・ナウ(2005-2006) |
配偶者 | アルベルト・フジモリ(1974年結婚、1995年離婚) |
親族 |
ケイコ・ソフィア(長女) ケンジ・ヘラルド(次男) |
共和国議会議員 | |
選挙区 | リマ選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2000年7月26日 - 2006年7月26日 |
スサーナ・シズコ・ヒグチ・ミヤガワ(Susana Shizuko Higuchi Miyagawa、日本名:樋口 静子、1950年4月26日 - 2021年12月8日)は、ペルーの政治家、エンジニア、元共和国議会議員。
ペルー共和国元大統領 アルベルト・フジモリ(任期:1990年 - 2000年11月)の前妻。人民勢力党党首を務めるケイコ・フジモリの母。
樋口家の四人兄弟の末子として誕生[1]。国立工科大学に通いながら、土木会社を設立。フジモリとの出会いのきっかけは事故死した兄の外見に似ていたこと、科学に対する熱意が厚かったことから意気投合。4ヶ月の交際を経て、結婚[2]。
夫の大統領就任と共にファーストレディとなる。1994年にはフジモリの強権的な政治手法を公的に非難し、暴君と称した。2001年、ヒグチはフジモリの汚職容疑を調査した捜査官に、国家情報局から数百回の拷問を受けたと語っている。フジモリはヒグチの背中と首の傷跡は拷問によるものではなく、灸の治療跡だと否定している[3]。2001年7月、フジモリが日本から受けた支援金を個人資産に悪用していると語った[4]。
2001年から2006年まで共和国議会議員に選出されたが、独立浄化戦線の議員との確執があったため、2005年にペルー・ナウへ入党[5]。