スティーブ・ディバーグ

スティーブ・ディバーグ
Steve DeBerg
基本情報
ポジション クォーターバック
生年月日 (1954-01-19) 1954年1月19日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州オークランド
身長: 6' 3" =約190.5cm
体重: 230 lb =約104.3kg
経歴
大学 サンノゼ州立大学
NFLドラフト 1977年 / 10巡目全体275位
初出場年 1978年
初出場チーム サンフランシスコ・49ers
所属歴
選手歴
1977* ダラス・カウボーイズ
1977-1980 サンフランシスコ・49ers
1981-1983 デンバー・ブロンコス
1984-1987 タンパベイ・バッカニアーズ
1988-1991 カンザスシティ・チーフス
1992-1993 タンパベイ・バッカニアーズ
1993 マイアミ・ドルフィンズ
1998 アトランタ・ファルコンズ
*オフシーズンまたはプラクティススクワッドとしての所属のみ
コーチ歴
1995-1996 ニューヨーク・ジャイアンツ
2004 インディアナ・ファイヤーバーズ
2004 タンパベイ・ストーム
NFL 通算成績
パス試投数 5,024
パス成功数 2,874
パス成功確率 57.2%
TD-INT 196-204
パス獲得ヤード 34,241
QBレーティング 74.2
ラッシングヤード 200
ラッシングタッチダウン 7
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

スティーブ・ディバーグ(Steven Leroy DeBerg 1954年1月19日- )はカリフォルニア州オークランド出身の元アメリカンフットボール選手。NFLクォーターバックとして1978年から1998年までプレイした。彼のキャリアの大部分はバックアップQBとしてジャーニーマンとしてのものであり永年のキャリアにもかかわらず同一チームでのプレイはタンパベイ・バッカニアーズでの64試合が最高に留まった[1][2]。愛称は悪夢のような状況から何度も返り咲いていることからエルム街の悪夢の登場人物と同じフレディ[2][3]

キャリア

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フラートン短期大学を経てサンノゼ州立大学卒業後、1977年ドラフト10巡目でダラス・カウボーイズに指名されて入団したが開幕前のトレーニングキャンプでカットされて[3]ウェーバーサンフランシスコ・フォーティナイナーズに加入したがその年は出場機会はなかった[2]1978年彼は開幕から先発QBとして10試合で1勝9敗と振るわず、11試合目からスコット・ブルに先発の座を奪われた。シーズン全体では12試合に出場し1570パス獲得ヤード、8タッチダウン、22インターセプト、QBレイティング40.0、1勝10敗の成績を残した。。彼の成績と負傷によりビル・ウォルシュを新ヘッドコーチに迎えたチームはドラフトでジョー・モンタナを獲得した。ビル・ウォルシュのウェストコーストオフェンスを最初に行うQBとなったがジョー・モンタナの台頭で彼は先発QBの地位を失うこととなった。その後10年間、彼が移籍していくチームでは次々と似た現象が見られるようになった。デンバー・ブロンコスではジョン・エルウェイの加入、タンパベイ・バッカニアーズではスティーブ・ヤングビニー・テスタバーディの加入、カンザスシティ・チーフスではデイブ・クレイグの加入であった。いずれのチームでも先発QBの座を奪われる前にディバーグは堅実な成績を残した。

1979年、彼は当時のNFL記録となる578回のパスを投げて347回成功[4]、3652ヤード、17タッチダウンをあげたが1980年シーズン終了後、ドラフト4巡指名権と引き換えにデンバー・ブロンコスにトレードされクレイグ・モートンの控えとなった[2]。ビル・ウォルシュによれば、ディバーグを控えQBとしてチームに残留させたままでいると、モンタナが頼り切って成長が遅くなると判断しての解雇であったという。

1981年1982年と平均的なシーズンを送り、1983年には9タッチダウン、7インターセプトと初めてタッチダウン数がインターセプト数を上回りQBレイティングも79.9と自己ベストだったがこの年入団したジョン・エルウェイにポジションを奪われタンパベイ・バッカニアーズへ移籍した。

1982年、クレイグ・モートンが引退したため、エースQBに昇格し、1983年の開幕当初は先発QBを務めたが、シーズン途中からエルウェイに先発の座を奪われ[5]、シーズン終了後の1984年4月24日タンパベイ・バッカニアーズへトレードで移籍した。

1984年、全16試合に出場し(うち13試合に先発出場)、その年のチームの6勝のうち5勝を挙げた。3554ヤードを投げて19タッチダウンをあげたが、1985年USFLからスティーブ・ヤングが加入しディバーグは2488ヤード、19タッチダウン、18インターセプトの成績であった。1986年サンフランシスコ・フォーティナイナーズとの開幕戦で7インターセプトを喫しベンチに下げられた[2]。この年彼はわずか610ヤード、5タッチダウン、12インターセプトの成績に終わった。1987年、チームに将来を担うことが期待されるビニー・テスタバーディが加入するとヤングはトレードされ、ディバーグはテスタバーディと8試合ずつ先発を分け合った[2]

1989年、34歳となった彼はカンザスシティ・チーフスに加入、この年ビル・ケニーからシーズン途中ポジションを奪い、2935ヤードを投げて16タッチダウン、16インターセプトの成績をあげた。チームは4勝11敗1分でジョー・ガンツヘッドコーチは解任されマーティ・ショッテンハイマーが新ヘッドコーチとなった。

1990年チームはクリスチャン・オコイエバリー・ワードらによるパワーランを中心とした攻撃を展開し、ロン・ジャウォースキーとのポジション争いに勝った彼は効果的なプレイアクションパスを投げた[2]。これまで弱小チームのQBとして先発出場しチーム状況が上向いて来たところで前述のQBにポジションを奪われて放出され続けてきた彼は1989年までは先発出場して30勝70敗1分の成績しか残せなかったがカンザスシティ・チーフスに移籍後の3年目のシーズンである1990年は3,444ヤード獲得、23タッチダウンパス、444回のパス試投に対してインターセプトはわずか4回でありQBレーティングは96.3の活躍を見せチームは11勝5敗の好成績をあげてプレーオフにチームを導いた[3]。この年彼はNFLの被インターセプト率シーズン記録を塗り替えた[2]1991年も2965ヤード、17タッチダウン、14インターセプトの成績を残したがシーズン最終戦、マーク・ブラシックに先発の座を奪われ、さらにシーズン終了後より若いデイブ・クレイグが加入した[2]

1992年1月、ニューヨーク・ジェッツパット・リーヒーが引退すると彼はNFLの現役選手中最高齢となった[2]。プランBでタンパベイ・バッカニアーズに復帰した彼は[6]ビニー・テスタバーディの控えとなったが1993年シーズン途中にダン・マリーノがシーズン絶望となったマイアミ・ドルフィンズスコット・ミッチェルの控えとして加入した[7]。ドルフィンズに加入後、ミッチェルも負傷し彼はこの年4試合で先発QBを務めた。

1995年1996年ニューヨーク・ジャイアンツダン・リーブスヘッドコーチの下でコーチングスタッフを務めた。リーブスがジャイアンツを解任された後、1998年リーブスがヘッドコーチとなったアトランタ・ファルコンズのトレーニングキャンプに参加した彼は3歳の息子を亡くしたマーク・リッピン[8]の代わりにクリス・チャンドラーの控えQBとなり10月25日のニューヨーク・ジェッツ戦では44歳での先発QBとしての出場というNFL記録を更新したがパス20回中9回の成功に終わりチームは3-28で敗れた[2]。この年チームは第33回スーパーボウルに進出しデンバー・ブロンコスに敗れたが45歳にして彼はスーパーボウルに出場こそしなかったもののロースターに名前が載った史上最高齢の選手となった[2]

ディバーグはパス獲得ヤードで通算34,000ヤード以上の成績を残し、パス試投、パス成功、パス獲得ヤードのいずれもNFL史上ベスト20に入っている[2]。獲得ヤード数ではスティーブ・ヤングトロイ・エイクマンを上回り、タッチダウン数ではジョー・ネイマスケン・ステイブラーを上回り、パス成功率ではボブ・グリーシーテリー・ブラッドショーを上回っている[2]

現役引退後

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2004年にアリーナ・フットボール・リーグインディアナ・ファイアーバーヅのヘッドコーチに就任し5試合の指揮を執ったがその間の成績は0勝5敗と振るわなかった[9]。その後タンパベイ・ストームのアシスタントコーチに就任した。現在彼はフットボール・ユニバーシティーキャンプのコーチをしている。

年度別成績

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年度 チーム 試合 パス ラン 被サック ファンブル
出場 先発 先発出場
試合勝敗
成功
回数
試投
回数
成功
確率
獲得
ヤード
平均
獲得
ヤード
TD Int 最長パス レイテ
ィング
試行
回数
獲得
ヤード
平均
獲得
ヤード
TD 回数 ロスト
ヤード
回数 ロスト
ヤード
1978 SF 12 11 1–10 137 302 45.4 1,570 5.2 8 22 58 40.0 15 20 1.3 1 17 156 9 -5
1979 SF 16 15 2–13 347 578 60.0 3,652 6.3 17 21 50 73.1 17 10 0.6 0 17 119 6 -17
1980 SF 11 9 4−5 186 321 57.9 1,998 6.2 12 17 93 66.7 6 4 0.7 0 14 114 4 -6
1981 DEN 14 1 0−1 64 108 59.3 797 7.4 6 6 44 77.6 9 40 4.4 0 7 67 2 0
1982 DEN 9 5 1−4 131 223 58.7 1,405 6.3 7 11 51 67.2 8 27 3.4 1 16 130 4 0
1983 DEN 10 5 4−1 119 215 55.3 1,617 7.5 9 7 54 79.9 13 28 2.2 1 25 201 5 0
1984 TB 16 13 5−8 308 509 60.5 3,554 7.0 19 18 55 79.3 28 59 2.1 2 35 308 15 -8
1985 TB 11 11 1−10 197 370 53.2 2,488 6.7 19 18 57 71.3 9 28 3.1 0 19 143 3 0
1986 TB 16 2 0−2 50 96 52.1 610 6.4 5 12 45 49.7 2 1 0.5 1 9 68 2 -5
1987 TB 12 8 2−6 159 275 57.8 1,891 6.9 14 7 64 85.3 8 -8 -1.0 0 20 185 7 -2
1988 KC 13 11 4−6–1 224 414 54.1 2,935 7.1 16 16 80 73.5 18 30 1.7 1 30 246 1 0
1989 KC 12 10 6–4 196 324 60.5 2,529 7.8 11 16 50 75.8 14 -8 -0.6 0 14 111 4 -26
1990 KC 16 16 11–5 258 444 58.1 3,444 7.8 23 4 90 96.3 21 -5 -0.2 0 22 191 9 -31
1991 KC 16 15 10–5 256 434 59.0 2,965 6.8 17 14 63 79.3 21 -15 -0.7 0 19 161 6 -19
1992 TB 6 2 0–2 76 125 60.8 710 5.7 3 4 28 71.1 3 3 1.0 0 8 66 2 -7
1993 TB 3 1 0–1 23 39 59.0 186 4.8 1 3 24 47.6 0 0 0 0 3 27 1 0
MIA 5 4 2–2 113 188 60.1 1,521 8.1 6 7 47 81.0 4 -4 -1.0 0 15 116 1 0
1998 ATL 8 1 0–1 30 59 50.8 369 6.3 3 1 35 80.4 8 -10 -1.3 0 6 60 2 0
Career 206 140 53–86–1 2,874 5,024 57.2 34,241 6.8 196 204 93 74.2 204 200 1.0 7 296 2469 83 -126
  • 太字は自身最高記録
  • はリーグ最高記録

エピソード

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b Steve DeBerg's 17-year career was a tale of 'What could have been'”. スポーツ・イラストレイテッド (2004年8月11日). 2008年8月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o NFL Greats Steve DeBerg”. footballdiner.com (2009年8月5日). 2010年10月28日閲覧。
  3. ^ a b c d 大出洋之「THE QUARTERBACK OF '90NFL」『アメリカンフットボール・マガジン』第23号、ベースボール・マガジン社、1991年4月、pp. 90-91。 
  4. ^ NFL & AFL Football Statistics”. pro-football-reference.com. 2010年10月28日閲覧。
  5. ^ Clint Daly (2011年8月27日). “Denver Broncos: Top 5 Quarterback Controversies”. bleacherreport.com. 2012年12月21日閲覧。
  6. ^ TIMOTHY W. SMITH (1993年5月27日). “An Upbeat Young Gets Out of Montana's Shadow”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年3月3日閲覧。
  7. ^ Landeta and Dolphins Get Together”. ニューヨーク・タイムズ (1993年11月10日). 2010年9月22日閲覧。
  8. ^ TIME OUT AFTER SON'S DEATH, RYPIEN FORCED TO MISS SUPER SEASON”. ニューヨーク・デイリーニュース (1999年1月28日). 2010年10月28日閲覧。
  9. ^ Coaches Bios”. クリーブランド・グラディエイターズ. 2010年10月28日閲覧。
  10. ^ a b NFL Records
  11. ^ Read All About It: Playoff Teams to Rely on the Run Aha! Fooled You. And the Receiver Is Open.”. ニューヨーク・タイムズ (1991年12月28日). 2010年4月9日閲覧。

外部リンク

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