ストロングホールド (HMS Stronghold) はイギリス海軍の駆逐艦。アドミラルティS級。
1918年3月起工[1]。1919年5月6日進水[1]。1919年7月2日就役[1]。
1939年、他のS級駆逐艦4隻と共に極東配備となる[2]。
「ストロングホールド」は太平洋戦争開戦の1941年12月8日はシンガポールにあった[3]。12月10日、マレー沖海戦の前に巡洋戦艦「レパルス」から発進し、その後不時着水していたウォーラスをシンガポールまで曳航した[4]。12月12日から15日までシンガポール発のSM1船団を護衛[5]。続いて12月16日からは駆逐艦「テネドス」とともにバタビアからシンガポールまで2隻の船を護衛した[5]。12月31日、シンガポールから出航[6]。1942年1月4日にBM9B船団の護衛に加わった[6]。船団は1月6日にシンガポールに着いた[6]。1月12日、人員輸送のため軽巡洋艦「ダーバン」が「ストロングホールド」などとともにシンガポールからバタビアへ向け出発[7]。1月20日、BM10船団の護衛に加わる[8]。1月22日、「ストロングホールド」は駆逐艦「エレクトラ」とともに船団からはなれバタビアへ向かった[9]。1月28日、スンダ海峡入り口でMS1船団に加わる[10]。船団は二つに分かれ、「ストロングホールド」はシンガポール行きの方を護衛[11]。船団は2月1日にシンガポールに着いた[11]。2月2日、駆逐艦「ヴェンデッタ」を曳航してシンガポールを離れる[12]。パレンバンを経て2月10日にバタビアに到着した[13]。シンガポールから撤退させる人員を輸送するため「スロトングホールド」は「ダーバン」などとともにシンガポールへ向かい、2月12日に到着[14]。同日シンガポールを離れ、2月13日にバタビアに着いた[15]。2月20日、重巡洋艦「エクセター」などとともにバタビア発のSJ5船団を護衛[16]。2月26日、タンジュン・プリオクを離れた最後の船であるイギリス船「Ashridge」を護衛[17]。
3月1日、「ストロングホールド」は避難民を乗せた「Zaandam」とともにチラチャップからフリーマントルへ向け出航[18]。夜中まで「Zaandam」を護衛し、それから「ストロングホールド」は単独でフリーマントルへ向かった[19]。一方、3月1日には日本軍の南方部隊本隊(重巡洋艦「愛宕」、「高雄」、「摩耶」駆逐艦「嵐」、「野分」、「早潮」)がジャワ島の南に進出し、遊弋していた[20]。3月2日、「ストロングホールド」は航空機に発見された[19]。日本軍は駆逐艦2隻と軽巡洋艦1隻発見の報告を受けて駆逐艦の方には「摩耶」、「嵐」、「野分」を派遣[21]。「ストロングホールド」はその3隻に捕捉され、撃沈された[19]。3月3日、日本軍に拿捕されていたオランダ船によって生存者50名が救助され、それから「摩耶」に移された[22]。