ストーミー・シックス Stormy Six | |
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1973年-1976年のグループショット | |
基本情報 | |
出身地 | イタリア ミラノ |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック フォークロック ロック・イン・オポジション アヴァン・ロック ビート・ミュージック |
活動期間 | 1966年 - 1983年、1993年 - 2010年 |
レーベル | First、L'Orchestra |
共同作業者 | カシックス |
公式サイト | www.francofabbri.net |
旧メンバー |
Giovanni Fabbri Maurizio Masla Franco Fabbri Luca Piscicelli Fausto Martinetti Alberto Santagostino Antonio Zanuso Claudio Rocchi Massimo Villa Umberto Fiori Carlo De Martini Tommaso Leddi Salvatore Garau Renato Rivolta Pino Martini Leonardo Schiavone Stefano Barbaglia |
ストーミー・シックス(Stormy Six)は、1966年にミラノで結成されたイタリアのプログレッシブなフォークロック・バンドである。1983年までは、ほとんどセクステットとして演奏したが、時折カルテット、クインテット、セプテットとしてもレコーディングを行った。そのラインナップは長年にわたりかなり変化したが、結成メンバーのFranco Fabbriはその全期間にわたってグループに在籍した。1993年5月、彼らはミラノで再結成コンサートを行った。それはCD『ウン・コンチェルト』(1995年)に録音され、リリースされた。
ストーミー・シックスは、1978年3月にロンドンで開催された最初のRIOフェスティバルで演奏を行った、5つのオリジナル・ロック・イン・オポジション(RIO)・バンドのうちの1つとして最もよく知られている。彼らは後に、組織としてのRIOの形成に積極的に参加し、他のRIOやRIOに関連するバンドとヨーロッパ全土で共演した。
ストーミー・シックスは、1966年にポップ/サイケデリック・ロック・バンドとしてスタートし、1967年に行われたローリング・ストーンズの最初のイタリア・ツアーではオープニングを担当した。何度かのラインナップの変更の後に、ストーミー・シックスは左翼/プロテスト・フォークロックへと音楽性を切り替え、最初の3枚のアルバムを発表した[1]。1960年代後半から1970年代初頭にかけては、このスタイルが反映されていた。1970年代半ばに彼らの音楽はより複雑になり、プログレッシブ・ロックに移行しながら実験的な音づくりを始めた。
1974年末、ストーミー・シックスをはじめとしたミラノのミュージシャンたちで「L'Orchestra」と呼ばれる音楽協同組合を結成した。それは「あらゆる種類の非コマーシャル音楽、そしてアヴァンギャルド、ジャズ、政治、プロテストおよびポピュラー音楽をプロモートする」ことを目的としていた。それはまた、ミュージシャンが自ら管理し、ストーミー・シックスが自身のシングルやアルバムを数多くリリースする独立したレコード・レーベルとなった。ストーミー・シックスは「L'Orchestra」の業務において主導的な役割を果たした。
ストーミー・シックスと外国人アーティストとの出会いとコラボレーションは、1975年にイングランドのアヴァン・ロック・グループ、ヘンリー・カウが初めてイタリアをツアーしたときに始まった。ストーミー・シックスはヘンリー・カウを「L'Orchestra」に招き入れ[2]、2つのバンドは関係を深めていった。その後、1978年に、ヘンリー・カウはロンドンのRIO(ロック・イン・オポジション)フェスティバルに出演するため、ストーミー・シックスに加え3組のヨーロッパのグループを招待した。オリジナルとなった5組のRIOメンバーの1組として、ストーミー・シックスは、組織としてのRIOの形成に積極的に参加した。1979年、ストーミー・シックスは、ミラノで2回目のRIOフェスティバルを開催した。ここでは7組のRIOメンバーが1週間にわたるイベントを行った。
ストーミー・シックスの6枚目のアルバム『ラップレンディスタ』(1977年)は、プログレッシブ・ロック・ファンの間で好評を博し[3]、次のアルバム『マッキーナ・マッケロニカ』(1980年)は「RIOジャンル」の代表作の座を勝ち得ている[4]。ヘンリー・カウのジョージー・ボーンは、アルバム『マッキーナ・マッケロニカ』にゲスト参加し、その時期に行われたいくつかのコンサートでストーミー・シックスと共演した。
もう1枚、アルバム『Al Volo』(1982年)をレコーディングした後、ストーミー・シックスは1983年に解散した。
1983年7月、3人の元ストーミー・シックス・メンバー(Franco Fabbri、Umberto Fiori、Pino Martini)は、ドイツのアヴァン・ロック・グループ、カシーバー(元ヘンリー・カウのクリス・カトラー、ハイナー・ゲッベルス、アルフレート・ハルト)と共同で、公開ワークショップとレコーディング・プロジェクトをモンテプルチャーノのカンティエレ・インテルナツィオナーレ・ダルテ(Cantiere Internazionale d´Arte)にて行った。その後、その録音はイタリアのラジオ「RAI Radio3」によって放送され、そのうち7曲はカシックス(Cassix = Cassiber / Stormy Six)の名義で、レコメンデッド・レコードのサウンド・マガジン『Rē Records Quarterly Vol.1 No.3』(1986年)に収録され発表された[5]。
1993年5月10日に、ストーミー・シックスの再結成がミラノのオルフェオ・シアター(Orfeo Theatre)での公演のために行われた。コンサートはレコーディングされ、後に『ウン・コンチェルト』(1995年)というライブ・アルバムとなってリリースされた。
ストーミー・シックスのラインナップは、結成メンバーのFranco Fabbriが唯一のレギュラー・メンバーであり、長年にわたってかなり変化した。[6]
1966年–1967年 |
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1967年–1968年 |
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1968年–1969年 |
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1970年–1972年 |
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1973年–1975年 |
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1976年 |
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1978年 |
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1979年–1980年 |
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1981年 |
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1982年 |
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1993年 再結成 |
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