座標: 北緯39度55分20秒 西経75度02分46秒 / 北緯39.9223326度 西経75.0460762度
種類 | 子会社 |
---|---|
設立 | 1968年 |
本社 | アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン |
主要人物 |
中村知美[1][2] (取締役会長兼CEO, Subaru of America) Thomas J. Doll,[3][4] (社長、最高執行責任者、最高財務責任者, Subaru of America) |
製品 | 米国市場におけるSUBARU車 |
従業員数 | 5,900[5] |
親会社 | SUBARU |
ウェブサイト | Subaru.com |
スバルオブアメリカ(Subaru of America, Inc.、通称: SOA)は、日本のSUBARU社の子会社であり、SUBARUブランドの車両のアメリカ合衆国を拠点とする代理店である。ニュージャージー州カムデンに本社を置く。
1967年、マルコム・ブリックリンが米国へ小型車スバル360を持ち込む着想を持ってSUBARUと交渉を始めた。大量の規制上のややこしい手続きと交渉の後、ブリックリンはスバルと取り引きした。ブリックリンはスバル車を販売するためにSubaru of America, Inc. を設立し、その後最高執行責任者(COO)としてHarvey Lammを招いた。
スバルオブアメリカは1968年にペンシルバニア州バラ・キンウッド、City Line Avenue 555に東部部門を、カリフォルニア州ニューポートビーチWest Coast Hwy 1000に西部部門を設立した[6]。本部は後にニュージャージー州ペンソーキンに、次にニュージャージー州チェリーヒルへ移転した。1986年、富士重工業(現SUBARU)に買収され完全子会社となった。
1989年、富士重工業と当時の提携企業いすゞ自動車はスバル・イスズ・オートモーティブ(Subaru-Isuzu Automotive, Inc.、SIA)と呼ばれる合弁工場をインディアナ州ラファイエットに開いた。この工場は当初はスバル・レガシィといすゞ・ロデオを製造した。2001年、いすゞは販売不振により工場の株式を富士重工業へ1米ドルで売却し、工場はスバル・オブ・インディアナ・オートモーティブInc. に改名された。SIAは全米野生動植物連盟(NWF)によって裏庭の野生動植物生息域として指定を受けており、埋め立てゼロ生産の称号を獲得している。
スバルはニュージャージー州カムデンに250,000平方フィート (23,000 m2)の本部を新たに建設し、2018年に移転した。2019年5月、チェリーヒルの以前の社屋の解体が始まった[7]。
北米で入手可能なスバル車:
ラリーレーシングおよび米国におけるインポート・シーン(日本からの輸入車を改造するサブカルチャー)の台頭と共に、2001年の待望のスバル・インプレッサWRXの米国導入は高性能、AWDコンパクトカーをスポーツカーの本流に送り込むことに成功した。スバルはラリー・アメリカへワークス・チームを送り込み、ドライバーズタイトルを5シーズン獲得した[8]。
2006年から、スバルオブアメリカはGrand-Amストリート・チューナー・クラスに参戦するSubaru Road Racing Team (SRRT) を支援し、スバル・レガシィ 2.5 GT Spec-Bを提供した。2010年、SRRTはWRX STIをグランドスポーツクラスで運用する。[9]