スバル・アルシオーネSVX CXD/CXW/CXV型 | |
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バージョンE フロント | |
バージョンE リア | |
内装 | |
概要 | |
販売期間 | 1991年9月 – 1996年12月 |
デザイン | イタルデザイン・ジウジアーロ |
ボディ | |
乗車定員 | 4/5名 |
ボディタイプ | 2ドアノッチバッククーペ |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 前輪駆動/四輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | EG33型 3,318 cc 水平対向6気筒 |
最高出力 | 240 PS/6,000 rpm |
最大トルク | 31.5 kgf⋅m/4,800 rpm |
変速機 | 4速AT |
サスペンション | |
前 | マクファーソン式ストラット |
後 | デュアルリンク式ストラット |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,610 mm |
全長 | 4,625 mm |
全幅 | 1,770 mm |
全高 | 1,300 mm |
車両重量 | 〜1,620 kg |
その他 | |
タイヤサイズ | 225/50R16 92V |
系譜 | |
先代 | スバル・アルシオーネ |
アルシオーネSVX(Alcyone SVX)は、富士重工業(現・SUBARU)が1991年から1996年にかけて製造・販売していたクーペ型の普通乗用車(スペシャルティカー)である。
キャッチコピーは「遠くへ、美しく」、「500miles a day」。製造は富士重工業群馬製作所本工場(現: 株式会社SUBARU 群馬工場)で行われていた。日本国外ではスバル・SVXとして販売された。
先代のアルシオーネがプラザ合意による急激な円高で販売コンセプトが大きく迷走したこともあり、北米市場で活況を示していたパーソナルクーペ市場をターゲットに投入された。メカニズムは先代から大きく一新されており、直接のつながりは無い。
主なマーケットを北米としていたこともあり、発表は日本に先行してデトロイトショーで行われた[1]。国際性のあるグランツーリスモと位置づけ、開発のポイントとして先代の高い空力性能(Cd値=0.29)は引き継ぎつつ、長距離を快適に走る事を目指した[2][出典無効]。
イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロによるエクステリアデザインが大きな特徴であり、当初のデザインスケッチやモックアップの段階ではリトラクタブル・ヘッドライトが備えられていたが、市販モデルでは窓井崇史デザイン[要出典]による固定式となった。グラスtoグラスのキャノピーはミッドフレームウインドーを日本で初めて採用している。これはドアガラスがルーフ面にまで回り込む形状であることからサイドウィンドウ全体を開閉できないため、一部だけを開閉するようにしたものである。 3.3Lという中途半端な排気量は、車の性格上パワーを追求するものではないため、自然吸気のフィーリングのほうが相応しいという理由によるものだという。
前述のグランツーリスモというコンセプトの位置付けに倣い、トランスミッションは4速ATのみの設定となった[3]。しかし、このトランスミッションはレガシィ用をベースとしたため最大許容トルクが小さく、不具合に至りやすいという欠点があった。後年、同メーカーのインプレッサの5速または6速MTに改装するカスタマイズを行った例もある。
駆動方式も日本国内では4WDのみとなり、先代モデルに存在したFFは北米仕様のみの設定となった。型式は「バージョンL」がCXD、北米仕様限定のFFモデルはCXV、それ以外はCXW。
意欲的なスタイリングコンセプトとメカニズムを持った本車であったが、車体価格が312 - 439.4万円と高価で、さらに日本での販売時期がバブル崩壊と重なったこともあり、苦戦を強いられた。また、発売当時は「スバル(SUBARU)」自体のブランドイメージが高級車市場でまだ周知されていなかった点も苦戦の理由として挙げられる[4]。1996年12月に製造終了[5]、販売期間中の新車登録台数の累計は5944台[6]。
直接の後継車種はリリースされず、本車の販売終了後、スバルのクーペ専用車種はBRZまで存在しなかった。
アルシオーネは、すばる(プレアデス星団)に属している恒星であるおうし座η星の名前「アルキオネ」(Alcyone)にちなんでおり(スバルのマークで言えば六連星のうちの一番大きい星)、スバルのフラグシップであることを表している。
SVXとは、「Subaru Vehicle X」の略。スバルが提唱した「グランドツアラー」を象徴した呼び名である。