『スペードの女王』(スペードのじょおう、Pique Dame[注 1])は、フランツ・フォン・スッペが1864年に作曲した2幕からなるオペレッタ。スッペの他の多くのオペレッタと同様、現代において上演されることはなく、序曲のみが今も演奏される。
本作は1862年に初演された1幕のオペレッタ『トランプ占いの女』 (de:Die Kartenschlägerin) の改訂版にあたる。『トランプ占いの女』はスッペが書いた2つ目のオペレッタで、もともとアン・デア・ウィーン劇場のために書かれたが、同年劇場が倒産したためにカイ劇場 (de:Theater am Franz-Josefs-Kai) での上演用に改訂され、そこで1862年4月26日に初演されたものの、公演は失敗で3回上演しただけで打ち切られた。現在この作品は復元できない[1]。
1864年、グラーツで公演するためにスッペは『トランプ占いの女』を2幕の『スペードの女王』に改訂した(音楽は同じ)。新しいリブレットを書いた人物は「S.S.」というイニシャルでしか知られていない[2]。新しい題がプーシキンが1834年に書いた小説『スペードの女王』に影響されたものかはわからないが、話の内容は無関係である[2]。この改訂版はグラーツのタリア劇場で1864年6月20日に初演されたが、やはり成功せず、ウィーンで公演されることはなかった[2]。
スッペは(序曲のほかに)9曲の歌曲を作曲した[2]。音楽の様式は多様であり、ロマン派オペラ風の曲やイタリアのオペラ・ブッファ風の曲、スペイン民謡風の曲、およびオッフェンバック『地獄のオルフェ』のカンカン風の音楽を含む[2]。
序曲はオランダの作曲家ヨス・ファン・デ・ブラーク (nl:Jos van de Braak) によって吹奏楽に編曲された[3]。
エミールは少尉でかつ作曲家でもあったが金に困っていた。彼は裕福な未亡人の娘であるヘートヴィヒに恋していたが、ヘートヴィヒの後見人であるファビアン・ムーカーも彼女と結婚しようと思っていた。エミールの養母で占い師のユディットは一計を案じ、ムーカーを占って凶運を示すスペードの女王が出たといっておどす。いろいろな騒ぎの後、結局エミールはムーカーの甥でその財産を引きつぐ権利があることが明らかになり、ヘートヴィヒとも結ばれてハッピーエンドで終わる[2][4]。
序曲以外の曲を録音したものとして、ミハイル・ユロフスキ指揮ケルンWDR交響楽団のものがある[5][4]。
フルート2(2番はピッコロ持ちかえ)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、オフィクレイド、ティンパニ、トライアングル、スネアドラム、バスドラム、シンバル、弦5部。
速度と拍子の変化によって曲はいくつかの部分に分けられる。
演奏時間は約8分。