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スルーオゴールド | |
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欧字表記 | Slew o'Gold |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1980年4月19日 |
死没 | 2007年10月14日(27歳没) |
父 | Seattle Slew |
母 | Alluvial |
母の父 | Buckpasser |
生国 |
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生産者 | クレイボーンファーム |
馬主 | Equusequity Stable |
調教師 |
Sidney Watters Jr(アメリカ) →John O.Hertler(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 21戦12勝 |
獲得賞金 | 353万3534ドル |
スルーオゴールド (Slew o'Gold) は、アメリカ合衆国で競走馬、種牡馬として活躍した馬である。半兄に1979年のベルモントステークスなどを制したコースタル (Coastal) がいる。
1982年(2歳)にアケダクト競馬場でのデビュー戦で初勝利を挙げ、その後は2戦して1勝している。
1983年(3歳)、この年4走目となったウッドメモリアルステークスを制し、G1初勝利を挙げたが、続くケンタッキーダービーは3着だった。ピーターパンステークス (G3) を12馬身差で圧勝して挑んだベルモントステークスでは、1番人気に支持されるが2着だった。その後G1を2走し、迎えたウッドワードステークスを鼻差で制し、G12勝目を挙げた。次走のマールボロカップハンデキャップこそ2着となるが、続くジョッキークラブゴールドカップを制しG13勝目を挙げ、この年のエクリプス賞3歳牡馬チャンピオンに選出された。
1984年(4歳)、7月にベルモントパーク競馬場での一般競走を制し、続くホイットニーハンデキャップ、ウッドワードステークス、マールボロカップハンデキャップ、ジョッキークラブゴールドカップとG1を4連勝、前年のジョッキークラブゴールドカップから6連勝を達成した。しかし、その後のブリーダーズカップ・クラシックではワイルドアゲインに敗れ連勝がストップし、この競走を最後に引退することになった。なお、この年はエクリプス賞古牡馬チャンピオンに選出された。
1985年より種牡馬として繋養され、以後2002年(22歳)の引退まで種牡馬として活動した。
種牡馬引退後はスリーチムニーズファームで余生を送っていたが、2007年10月14日に老衰のため安楽死処分となった。
1992年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館の選定により、アメリカ競馬殿堂入りを果たした。また、1999年にはアメリカの競馬情報誌ブラッド・ホースの選定による20世紀のアメリカ名馬100選において、第58位に選ばれている。
スルーオゴールドの血統(ボールドルーラー系 / Princequillo 4x5=9.38%、 Nasrullah 父内5x5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Seattle Slew 1974 青鹿毛 アメリカ |
父の父 Bold Reasoning1968 青鹿毛 アメリカ |
Boldnesian | Bold Ruler | |
Alanesian | ||||
Reason to Earn | Hail to Reason | |||
Sailing Home | ||||
父の母 My Charmer1969 鹿毛 アメリカ |
Poker | Round Table | ||
Glamour | ||||
Fair Charmer | Jet Action | |||
Myrtle Charm | ||||
母 Alluvial 1969 栗毛 アメリカ |
Buckpasser 1963 鹿毛 アメリカ |
Tom Fool | Menow | |
Gaga | ||||
Busanda | War Admiral | |||
Businesslike | ||||
母の母 Bayou1954 栗毛 アメリカ |
Hill Prince | Princequillo | ||
Hildene | ||||
Bourtai | Stimulus | |||
Escutcheon F-No.9-f |