スーザナ・デュイム

スーザナ・デュイム
Carmen Susana Duijm Zubillaga
Carmen Susana Duijm Zubillaga
プロフィール
生年月日 1936年8月11日
没年月日 2016年6月18日
没年齢 79歳(数え81)
出身地 ベネズエラの旗 ベネズエラ
アンソアテギ州アラグア・デ・バルセロナ
死没地 ヌエバ・エスパルタ州ポルラマル[1]
瞳の色 コーヒーブラウン
毛髪の色 ブラック
公称サイズ(1955時点)
身長 / 体重 174 cm / kg
スリーサイズ 86 - 54 - 86 cm
活動
ジャンル ファッション
モデル内容 一般
備考 ミス・ワールド1955
他の活動 女優
事務所 Barbizon(ニューヨーク)
モデル: テンプレート - カテゴリ

スーザナ・デュイム[2](カルメン・スーザナ・デュイム・スビジャガ, Carmen Susana Duijm Zubillaga、1936年8月11日 - 2016年6月18日)は、ベネズエラの女優・テレビ司会者・モデル。1955年、ミス・ワールドで優勝(ベネズエラ代表として、またラテンアメリカ諸国代表として初)。

経歴

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父Abraham Duijmはオランダ領ギアナ(現・スリナム共和国)のユダヤ移民。油井を専門とする技術者。母Carmen Zubillagaはベネズエラ人1936年8月11日アンソアテギ州Aragua de Barcelonaに生まれる[3]。カラカス出身とする資料もある[4]

1950年までアルバに暮らす。そこで英語、パピアメント語、オランダ語を覚える。サントメにあるMene Grande Oil Companyの学校を卒業。その後帰国、カラカスに暮らす[3]

1955年7月9日、ミランダ州を代表してMiss Venezuela 1955に出場。優勝。

1955年7月22日、ミス・ユニバース1955に出場。トップ15に残る[5]

1955年10月20日、ミス・ワールド1955に出場。優勝[6]。ミス・ワールドの参加費用(旅費・滞在費)については名親のCarola Reverón de Behrensに援助を乞う。 ミス・ワールドはこの年から公式のクラウンを使用。彼女は"戴冠された初のミス・ワールド"とも呼ばれる[7]。ただし戴冠したのはミス・ワールド1954アンティゴネー・コスタンダではなく、英国の女優ユーニス・ゲイソンスエズ運河をめぐってエジプトと英国の間に緊張が高まっていたため、コスタンダは出席できなかった[8]。賞金500ポンド、銀のトロフィー、コンバーチブルを受け取る[9]

帰国前にパリに滞在する。スタイリストのAlexandre de Paris[10]にスタイリングしてもらい、デザイナーのオレグ・カッシーニのモデルをつとめる。髪型が気に入らなかったのか彼女はすぐに元に戻したため、フランスの雑誌Paris Matchに"Carmen la salvaje"(「カルメン・ザ・ワイルド」)というあだ名を付けられる。

1955年11月1日、カラカスの空港に降り立つ。

その後

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ミスコン女王としての肩書は、女優及びテレビ司会者としてのキャリア開始に寄与した。

アレパの一種に、reina pepiadaというものがあるが[11]、これはスーザナにちなむ。pepiadasは(英)curvyな女性のニックネーム[12]

フィルモグラフィ
タイトル 備考
1961 Tropico di notte Herself (as Susanna Dujim) ドキュメンタリー
1959 Yo y las mujeres
1961 El jinete enmascarado Susana Duin
1962 El justiciero vengador Mecedes (元ミス・ワールド Susana Duin )
1979 Reconcomio

(出典:[13]

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2016年以降ヌエバエスパルタ州マルガリータ島に暮らす。

2016年6月18日[14]、脳卒中により[1]死去。享年79。

私生活とゴシップ

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米国の俳優ジョージ・ハミルトンと交際したこともあるが、結局アルゼンチンの編集者Martín Cerrutiと結婚。3人の子を儲ける[3]

1983年11月17日、娘のCarolina Cerrutiは、ベネズエラを代表してミス・ワールド1983に出場[15]

出典

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  1. ^ a b Muere Susana Duijm, la primera miss Mundo de Venezuela”. el Nuevo Herald. Miami Herald Media Company (2016年6月19日). 2020年6月25日閲覧。
  2. ^ マヌエル・スルバラン. “ベネズエラの味を味わってください:アレパはチキンとアボカドサラダで詰めました”. jethros4u.com. 2020年7月25日閲覧。
  3. ^ a b c Redacción El Estímulo (2016年10月5日). “Susana Duijm, reina hasta el final”. CLIMAX. 2020年7月25日閲覧。
  4. ^ Susana Duijm”. bellasvenezolanas.org (2006年12月3日). 2007年9月18日閲覧。
  5. ^ Miss Universe 1955”. pageantopolis.com. 2012年2月7日閲覧。
  6. ^ Miss World 1955”. pageantopolis.com. 2011年9月3日閲覧。
  7. ^ The Crowns Used in the Miss World Pageant”. Sashes & Scripts (2018年8月25日). 2019年6月15日閲覧。
  8. ^ Sally-Ann Fawcett (2017-10-19) (英語). Mis-3-meanours: Second Runner-Up. Lulu.com. pp. 35-36. ISBN 9780244936808 
  9. ^ Alberto Maneiro Restrepo. “Susana Duijm....Reina de Reinas por siempre!”. meridiano.com.ve. 2007年8月14日閲覧。
  10. ^ Alexandre Zouari Paris”. International Finance Centre Management Co., Ltd. 2009年8月29日閲覧。
  11. ^ チキンとアボカドのサラダを挿み込んだもの
  12. ^ Mariángel Velásquez Rincón (2019年9月14日). “Historia de la arepa reina pepiada, tan especial como Susana Duijm”. elestimulo.com. 2020年7月25日閲覧。
  13. ^ Susana Duijm”. IMDb. 2020年8月3日閲覧。
  14. ^ Natalie Roterman (2016年6月19日). “Susana Duijm Dead: First Latina To Ever Win Miss Mundo Passes At 79”. latintimes.com. Latin Times LLC. 2016年6月26日閲覧。
  15. ^ Miss World 1983”. pageantopolis.com. 2012年7月4日閲覧。