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メーカー | セガ・エンタープライゼス |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第3世代 |
発売日 |
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CPU | Z80A |
対応メディア |
ロムカセット マイカード |
コントローラ入力 | ケーブル |
外部接続 | 拡張スロット |
売上台数 |
![]() (4機種の出荷台数の合計[注 1]) |
互換ハードウェア | セガ・マスターシステム |
後方互換 | SG-1000 |
前世代ハードウェア | SG-1000 |
次世代ハードウェア | メガドライブ |
セガ・マークIII[注 2](セガ・マークスリー、SEGA MarkIII)は、1985年10月20日[2][注 3]にセガ・エンタープライゼスより発売された家庭用ゲーム機。流通用の型番はSG-1000M3。
SC-3000シリーズ(SG-1000/SG-1000II)やオセロマルチビジョンとの互換性を維持しつつ、同時発色数、スプライト、スクロール機能などを強化したゲーム機である。接続端子はSC-3000シリーズにあったものの他に、マイカード専用スロットが追加された。日本国外では外装を変更し「Sega Master System」の名称で販売された。
なお、マークIIIのアーキテクチャをベースにしたアーケード基板「セガ・システムE」に関しても本記事で述べる。
SG-1000シリーズがゲーム機として一定の成果を収めたが、元々がホビーパソコンとして設計されたSC-3000をベースにしていることからアーケードゲームを移植するには性能が弱かった。そこでアーケードゲームの移植にも耐えうる高性能ハードの開発が企画された。開発にあたっては、当時稼働していた8ビットのアーケード基板『セガ・システム1』および『セガ・システム2』のゲームが見劣りなく移植できる程度の性能を目標とした[12]。開発にかかわったセガ・インタラクティブの石川雅美は、本機を開発した意図について「当時はアーケードを追い掛けて開発をしていて、ゲームに特化した機械を安く提供して家庭内にも広めれば、ゲームセンターにもお客様が来るだろうと考えていました」と2016年に開催された「GAME ON~ゲームってなんでおもしろい?~」展でのトークイベントの中で振り返っている[12]。
マークIIIがまだ開発中だった頃の日本は1983年に発売されていたファミコンが普及しはじめていた時期であり、主な競合機としてはセガが従来機SG-1000のマイナーチェンジモデルSG-1000IIを展開していたほか、同時期には一部の機能でファミコンを凌駕する性能を持つエポック社のスーパーカセットビジョンも登場した。この時点でセガはハードウエア性能で後れを取ったが、1985年10月のマークIIIの登場によりファミコンに比肩する性能をもつ家庭用ゲーム機を市場に投入する形となる。この頃は任天堂・セガ・エポック社の3社が時代を作ったと言われる[13]が、その後のファミコンの爆発的な普及に伴い、これらの競合機は最後発のマークIIIを除いて1987年頃までにほぼ収束。1987年10月にPCエンジンが発売されるまでマークIIIがほぼ唯一のファミコン対抗機となった[14]。
発売から2年後の1987年10月にはFM音源と連射装置などを内蔵したマイナーチェンジ機のセガ・マスターシステムを発売[15][16]。アメリカではシェアが10%程度で、ファミコンの日本国外版であるNintendo Entertainment System(NES)が市場の90%を占めてほとんど普及しなかった[17]。一方ヨーロッパでは健闘し、ほぼ二分するほどの普及を見せたが、市場が小さく[18][19]、世界シェアでは9.1%にとどまった[20]。また韓国やブラジルでも市場を開拓した[21]。
SG-1000からのセガの8ビットゲーム機の1992年までの累計は780万台。日本を含む台湾、韓国、香港などのアジアで150万台、アメリカで180万台、ヨーロッパで350万台という内訳である[22]。一方、ファミコンは累計で6,191万台を販売した。
当時セガの社長の中山隼雄は8ビット世代での敗因として、それまで家庭用ビジネスをしてきた任天堂と家庭用ビジネスをしてこなかったセガとの差、セガは業務用が主体で任天堂のように家庭用への絞り込みをしなかったこと、任天堂が独走して任天堂神話を確立したことを挙げている[22]。
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型番 | 名称 | 備考 |
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SA-150 | ACアダプタ | 本体に付属。 |
SS-60 | RFスイッチボックス | 本体に付属。 |
RFケーブル | 本体に付属。 | |
アンテナ整合器 | 本体に付属。 | |
SD-80 | モノラルディンプラグコード | メガドライブ1に付属。マークIIIでも使用可能。 |
SJ-151 | ジョイパッド | SG-1000IIのコントローラ。ボタン部分がプラスチックになった。 |
SJ-152 | ジョイパッド[23] | 本体同梱のコントローラ。 |
SJ-200 | ジョイスティック | SG-1000についているものと同型。 |
SJ-300 | ジョイスティック | |
SJ-300M | ジョイスティック | SJ-300にATARI仕様切換スイッチを追加したもの。 |
HPD-200 | パドルコントロール[23] | 「ウッディポップ」に付属。後に単体でも販売される。 |
SH-400 | ハンドルコントローラ | レースゲーム用コントローラ |
BH-400 | バイクハンドル[23] | レースゲーム用コントローラ[24] |
SK-1100 | キーボード[25] | SG-1000/1000II用のキーボードが接続できる。対応ソフトはロードランナーのコンストラクションモードや、BASIC等。拡張スロットに接続するので、FMサウンドユニットとは排他である。 |
SP-400 | カラープロッタプリンタ | セガ・キーボード(SK-1100)の端子につないで使用する。ACアダプタが必要。 |
SR-1000 | カセットデータレコーダ | セガ・キーボード(SK-1100)の端子につないで使用する。 |
SR-1001 | カセットデータレコーダ用ACアダプタ | |
FM-70 | FMサウンドユニット[23] | 拡張スロット・AV出力端子に接続する。日本版マスターシステムと同等のFM音源(YM2413)を採用[26]。本体の音源をFM音源と一緒に鳴らすとノイズが入るため、BGMをFM音源で鳴らすソフトでは、本体音源の使用は音声合成などに限られた。なお、マスターシステムにこの制約は無いが、対応ソフトはマークIIIに合わせて作られている。なお、一部のマイカードマークIIIソフトにて操作に支障をきたす現象が確認された。その場合は拡張端子からコネクタを外すよう対応を促すメッセージがマニュアル別紙にて同梱された。また、マークIII本体のAV端子から出力されるRGB信号はサウンドユニット側においてはサポートされず、結果RGB出力が使えなくなるため、それを克服させるRGBケーブルが同人ハード作家によって製作販売されたりもした[27]。 |
RF-150 | ラピッドファイアユニット[23] | オート連射機能を付加する。コントローラーと本体の間に付けて使用する。連射速度は固定。SG-1000IIでも利用可能。 |
3-Dグラス[28] | マイカード端子につなぐ。「ザクソン3D」のソフトに標準で付属。 | |
3-Dアダプタ | 3-Dグラスを使うときに使用する。3-Dグラスに同梱。 | |
GB-800 | テレビおえかき[23] | 絵を描くことができるタブレット[24] |
TP-300 | テレコンパック[23] | AV出力端子に接続(本体後部に装着する形。FMサウンドユニットを付けた場合、ユニット後方に装着する)。映像・音声をUHFの電波で飛ばし、テレビとの接続がコードレスになる。 |
型番 | 名称 | 発売元 | 備考 |
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AS-0524-SG | アスキースティックα | アスキー | |
HJ-10 | SGコマンダー | ホリ電機 | |
XE-1ST | ジョイスティック | マイコンソフト |
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使用可能ソフトはマークIIIではマークIII専用ソフトの他、SG-1000/SC-3000/オセロマルチビジョン用ソフトである[29]。ただしカラーパレットがマークIIIの64色から近い色を取り出したセットとなるため発色が大きく異なり、全体的に暗くくすんだ画面表示となる[30]。
マークIII発売後、SG-1000/SC-3000/オセロマルチビジョン用ソフトは「全機種対応ソフト」と改称された。
専用ソフトは以下の3種類がある。
「セガ・システムE」は家庭用ビデオゲーム機「セガ・マークIII」をベースとした、セガ・エンタープライゼスによる業務用のシステム基板である[31]。1986年から1988年にかけてソフトの供給が行われた[32][33]。
システムEの「E」は「エコノミー (economy)」の頭文字を取ったものである[32][33]。
セガが1986年1月から展開していたシステム基板「システム16」が他社の基板と比べて高価であったため、低価格で提供することを目的に開発された基板である[32][33]。システムEは基板の性能を抑え、基板の価格もシステム16の半分以下に設定された[32][33]。
しかし、家庭用とほとんど変わらない性能面からゲーム内容の高度化の流れに対応できず、客からの反応も芳しくなかったことから、システムE用のソフトの供給は2年間で終了することとなった[32][33]。
システムEではセガ・マークIIIで使用されたVDP(315-5124)を2個搭載しており、BGおよびスプライトのレイヤー数、内蔵PSG(SN76489互換)の同時発声数がセガ・マークIIIと比べて2倍になっている[34]。CPU(Z80)の動作速度もセガ・マークIIIと比べて高速化している[34]。
当時のセガ製の他のシステム基板と同様に、セキュリティ対策として電池式のプロテクトが搭載されている[35]。そのため、長期間通電せずにいると動作不能となる[35]。
発売時期 | タイトル名 | ジャンル | 備考 |
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1986年1月[36] | ハングオンJr. | レース[36] | |
1986年3月[39][40][注 5] | スラップシューター | スポーツ[40] | |
1986年5月[42][注 6] | アストロフラッシュ | シューティング[42] | |
1987年1月[43][注 7] | ピタゴラスの謎 | ブロック崩し[43] | |
1987年7月[32][44] | オパオパ | ドットイート[45] |
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1988年2月[32][33] | ファンタジーゾーンII | シューティング | |
1989年[48] | テトリス | パズル |
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