セバスチャン・ポルト

セバスチャン・ポルト
グランプリでの経歴
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
活動期間 1994年 - 2006年
チーム アプリリア, ヤマハ, ホンダ
レース数 161
チャンピオン 0
優勝回数 7
表彰台回数 19
通算獲得ポイント 1052
ポールポジション回数 11
ファステストラップ回数 8
初グランプリ 1994年 125cc アルゼンチンGP
初勝利 2002年 250cc ブラジルGP
最終勝利 2005年 250cc ダッチTT
最終グランプリ 2006年 250cc イタリアGP
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セバスチャン・ポルト(Sebastián Porto[1], 1978年9月12日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ラファエラ出身の元モーターサイクルロードレーサー。愛称は "セバス"。

経歴

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ポルトは11歳の時ミニバイクレースを開始し、1992年にはアルゼンチン国内の100ccクラスチャンピオンになる。1994年には同250ccクラスのチャンピオンとなり、またオスカル・ガルベス・サーキットで開催されたアルゼンチンGP、125ccクラスレースにワイルドカード参戦し、世界選手権デビューを果たした。

翌1995年にはヨーロッパに渡り、スペイン国内選手権(オープン・ドゥカドス)の250ccクラスチャンピオンとなった。1996年にはアプリリアを駆ってロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始、またこの年には並行参戦していたロードレースヨーロッパ選手権250ccクラスでチャンピオンを獲得する。

1999年からはマシンをヤマハに乗り換え、この時点で自己ベストとなるシリーズ9位に入る。翌2000年にもシリーズ9位に入り、またこの年にはプライベーター最上位に授与される "Michel Metraux Trophy" も獲得した。 そして2002年、第12戦ブラジルGPで自身初優勝を果たし、シリーズ5位に入る活躍を見せた。

2003年シーズンはアルベルト・プーチ率いるテレフォニカ・モビスター・ホンダチームに移籍したが、表彰台の獲得もなくシリーズ8位に終わる。翌2004年ホルヘ・マルチネス率いるレプソル・アスパー・アプリリアチームに移籍し、シーズン5勝、表彰台10回を獲得したが、前年度所属していたテレフォニカ・モビスター・ホンダのルーキー、ダニ・ペドロサが圧倒的な強さを見せ、ポルトはシリーズ2位となった。

2005年もアスパー・チームに残留したが、ダッチTTでの1勝に留まり、シリーズランキングは6位に終わった。一方ペドロサはクラス2連覇を果たし、翌年はMotoGPクラスにステップアップすることとなった。

2006年、そのペドロサの後釜としてポルトは再びプーチ監督と組み、ホンダ・RS250RWを駆ることになった。ポルトと一緒にスポンサーが異動する形となり、チーム名は"レプソル・ホンダ"に変更。チームメイトはルーキーの青山周平だった。フル参戦11年目となったこのシーズン、ポルトはマシンへの順応に苦しみ、満足な成績が残せないでいた。6月15日、第7戦カタルニアGPを前に、ポルトはモチベーションを失ったことを理由として、27歳で二輪レースからの現役引退を発表した[2]

ロードレース世界選手権 戦績

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP ポイント 順位
1994年 125cc - 1 0 0 0 0 -
1995年 250cc アプリリア 1 0 0 0 3 28位
1996年 250cc アプリリア 14 0 0 0 25 19位
1997年 250cc アプリリア 15 0 0 0 60 11位
1998年 250cc アプリリア 13 0 0 0 17 22位
1999年 250cc ヤマハ 16 0 0 0 98 9位
2000年 250cc ヤマハ 16 0 0 0 83 9位
2001年 250cc ヤマハ 16 0 0 0 39 16位
2002年 250cc ヤマハ 16 1 5 1 172 5位
2003年 250cc ホンダ 16 0 0 1 127 8位
2004年 250cc アプリリア 16 5 10 9 256 2位
2005年 250cc アプリリア 15 1 4 0 152 6位
2006年 250cc ホンダ 6 0 0 0 20 18位
合計 161 7 19 11 1052

脚注

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外部リンク

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