セバスティアーノ・フィリッピ

セバスティアーノ・フィリッピ
Sebastiano Filippi
フィリッピ作 「聖家族と幼児の聖ヨハネ」
生誕 1532年ころ
レンディナーラ
死没 1602年8月23日
フェラーラ
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セバスティアーノ・フィリッピ作『最後の審判』(1577–1581)、フェラーラの聖堂(Cattedrale di San Giorgio)

イル・バスティアニーノ(Il Bastianino)の通称で知られるセバスティアーノ・フィリッピ(Sebastiano Filippi、1532年ころ - 1602年8月23日)はイタリアの画家である。フェラーラ派の画家の一人とされる。同名のの画家の祖父と区別するために「若い方のセバスティアーノ・フィリッピ(Sebastiano Filippi il Giovane)」とも呼ばれる。

略歴

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レンディナーラで画家カミーロ・フィリッピの息子に生まれた。弟のチェーザレ・フィリッピ(Cesare Filippi: 1536-1602以降)も画家になった。父親から絵を学び、父親と共にフェラーラのオラトリオ・デッレ・アンヌンツィアータOratorio dell'Annunziataの壁画などの仕事をした[1][2]

1526年に父親から離れ、ローマに移り、ローマで数年間滞在した。ローマではフェラーラ出身の教皇の侍医のヤーコポ・ボナコッシ(Jacopo Bonacossi)に推薦されてミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)のもとで修行した。7年間の修行の後、1833年にフェラーラに戻り、フェラーラ公アルフォンソ1世・デステと1534年にフェラーラ公を継いだエルコレ2世・デステの支援を受けて活動した[3]

ヴィガラーノ・マイナルダにある教会のために宗教画を描き、フェラーラのエステンセ城(Castello Estense)の壁画を父と弟とともに描いた。エステンセ城ではレオナルド・ブレシア(Leonardo Brescia: 1520–1582)とも働いたとされている。

作品には1577年から1581年にフェラーラ大聖堂に描かれた、ミケランジェロの作品を模倣した『最後の審判』のフレスコ画もある[4]

作品

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参考文献

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