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名前 | ||||||
本名 |
セルジオ・リカルド・ジ・パイヴァ・ファリアス Sérgio Ricardo de Paiva Farias | |||||
ラテン文字 | SÉRGIO FARIAS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1967年6月9日(57歳) | |||||
出身地 | リオデジャネイロ | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1993-1994 | サン・マテウス | |||||
1994-1995 | アル・ダーラ | |||||
1995-1998 | セラーノ | |||||
1998-1999 | ブラジル U-20 | |||||
1999-2000 | ジュベントス | |||||
2000 | サントス U-17 | |||||
2000-2001 | ブラジル U-17 | |||||
2001 | ブラジル U-20 | |||||
2002 | ブラジル U-17 | |||||
2003-2004 | バルバレンセ | |||||
2005-2009 | 浦項スティーラース | |||||
2010 | アル・アハリ | |||||
2010-2011 | アル・ワスル | |||||
2012-2013 | 広州富力 | |||||
2014 | ドゥケ・デ・カシアス | |||||
2015 | スパンブリー | |||||
2016 | ノースイースト | |||||
2016-2017 | スパンブリー | |||||
2018 | アル・ヒラル・オムドゥルマン | |||||
2019 | タラーイア・エル・ゲイシュ | |||||
2020 | プルシジャ・ジャカルタ | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
セルジオ・ファリアス (Sérgio Farias) こと、セルジオ・リカルド・ジ・パイヴァ・ファリアス(Sérgio Ricardo de Paiva Farias, 1967年6月9日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身のサッカー指導者。
1993年、CERAAサン・マテウスで指導者としてのキャリアをスタートさせる。若い世代への指導でキャリアを重ねる。2004年にウニオン・アグリーコラ・バルバレンセFCでブラジル全国選手権3部優勝を果たした。
2005年にKリーグの浦項スティーラースの監督に就任。同国初のブラジル人監督となる。2007年にはリーグは5位で終わるがプレーオフで勝ち進み、同チームを優勝に導く。2008年には韓国FAカップで優勝を果たしている。ACLには2008年・2009年と連続出場し、2008年はグループリーグ敗退したが2009年はクラブを初のACL優勝に導く(クラブは前身のアジアクラブ選手権で2回優勝経験がある)。2008年にKリーグの外国人監督の最多勝利記録を更新した。韓国内では代表監督に推されるほどの高い評価を得ている。
2009年12月、UAEで行われたクラブワールドカップで浦項を3位に導いた。この大会を最後に、自身の休息と子供の教育を理由として帰国を希望し[1] 退任。
2010年、サウジアラビアのアル・アハリの監督に就任。先述の経緯から韓国サッカーファンの反感を買った[1]。
2016年5月12日、インド・スーパーリーグのノースイースト・ユナイテッドFCの指揮官に就任[2]。しかし同年7月9日にタイ・リーグのスパンブリーFCへ復帰することが発表された[3]。