セントルイス・カー・カンパニー
セントルイス・カー・カンパニーの車輌銘板 |
業種 |
製造業 |
---|
その後 |
活動停止 |
---|
設立 |
1887年4月 (1887-04) |
---|
創業者 |
William Lefmann, Peter Kling, Juilius Lefmann, Henry Schroeder, Daniel McAllister, Henry Maune, Charles Ernst |
---|
解散 |
1974 |
---|
本社 |
、 |
---|
拠点数 |
ミズーリ州セントルイス |
---|
事業地域 |
アメリカ合衆国、カナダ |
---|
主要人物 |
George J. Kobusch, Peter Kling, John H. Kobusch, Henry F. Vogel,John I. Beggs, Robert McCulloch, Richard McCulloch, Robert P. McCulloch, Edwin B. Meissner |
---|
製品 |
客車、機関車、路面電車、トロリーバス;自動車 |
---|
親会社 |
ゼネラル・スチール・インダストリーズ(英語版) (1960–) |
---|
子会社 |
セントルイス・エアクラフト・コーポレーション(英語版) |
---|
セントルイス・カー・カンパニー(St. Louis Car Company)は、アメリカ合衆国に1887年から1974年まで存在した大手鉄道車両メーカーである。客車、路面電車、機関車のほかにトロリーバスの製造も行っていた。会社名の通り、ミズーリ州セントルイスを本拠地としていた。
セントルイス・カー・カンパニーは1887年4月に路面電車などの鉄道車両を製造・販売する企業として設立された。乗用車を製造していた時期もある。1917年にはハッティグ・サッシ・アンド・ドア・カンパニー(Huttig Sash and Door company)と提携して、航空機の製造を行うセントルイス・エアクラフト・コーポレーション(英語版)を設立した。ここでは第一次・第二次世界大戦中にグライダー、練習機、LVT、飛行艇、飛行船を製造した。セントルイス・カー・カンパニーの製品の中でも特に有名なものとしてPCCカー[注釈 1]とバーニーカー[注釈 2]が挙げられるが、これらの車輌のデザインは当時非常に高い人気を誇った[1]。
同社はニューヨークやシカゴの路線網向けの車輌を供給しているほか、1939年にはサザン鉄道専用車両として流線形ディーゼル列車「FM OP800(英語版)」を製造した。
1960年、同社はゼネラル・スチール・インダストリーズ(英語版)(General Steel Industries)傘下となった[2]。
1964年、同社はニューヨーク市地下鉄R36WF電車(英語版)430両およびニューヨーク・ニュージャージー港湾公社向けパストレインPA1電車(先頭車110両、中間付随車52両)の製造を完遂した[3][4]。
|
|
|
|
|
トラム内部
|
1960年代半ばには、プラネット社の設計により地元セントルイスのシンボルであるゲートウェイ・アーチの頂上まで来場者を輸送するトラムの製造も行った[5]。
セントルイス・カー・カンパニーは1968年まで営業を続けたが、最終的に1974年に操業を停止した[6]。最後の製品となったのはニューヨーク市地下鉄およびスタテンアイランド鉄道向けR44電車、およびその設計に基づいた試験車「アメリカ合衆国運輸省(USDOT) 「最新の電車」(en:State of the Art Car)」であった。
セントルイス・カー・カンパニーの組立工場および本社営業所のあったホール・ストリート8000番地は、2005年より再開発が始められ、商工業の複合施設「セントルイス・ビジネスセンター」となった[7]。
セントルイス・カー・カンパニーは廃業して久しく、同社製の鉄道車輌の置き換えも進んでいるが、一方で各地の鉄道博物館で静態・動態保存されている車輌も多数ある。代表的なものとしてサンフランシスコ市営鉄道のFラインが挙げられ、ここでは多数のPCCカーをはじめとした同社製のものを含むレトロ車輌が営業運転に使われており、気軽に乗車することができる。
- ^ モータリゼーションが到来したアメリカの路面電車の本格的な対抗策として、路面電車会社各社や各車両メーカーなどの社長が集まり発足した「電気鉄道経営者協議委員会」(Electric Railway Presidents' Conference Committee)が開発した高性能路面電車車輌。1936年から営業運転に導入され、1952年までに各社で合計5000両以上が製造された。
- ^ ボギー車時代に敢えて小型の二軸車として登場した路面電車車輌。設計の標準化が図られ各社で製造された。第一次世界大戦による労働者不足を背景にワンマン運転を想定するなどの合理化が図られていた。さらに自動ドアに安全装置を設けるなどの取り組みもなされたことから「バーニー安全車」(Birney Safety Car)とも呼ばれた。
- ^ 日本の「私鉄」の手本にもなった、主として電車により都市間輸送を行う中長距離鉄道。
- ^ 中央を吹き抜けとして、車掌の検札の便をよくした2階建て通勤客車。
- ^ 全米最大規模の路線網を有したインターアーバン「パシフィック電鉄」で最も両数の多かった電車。ハリウッド大通りなどで用いられ、連結運転可能な路面電車スタイルの車両で、同車の電車としては最も長期に渡って使用された。ショーティー化されたレプリカがアナハイムのディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーにて「レッドカー・トロリー」として走っている。
- ^ Andrew D. Young and Eugene Provenzo, The History of the St. Louis Car Company (Howell North Books 1978)
- ^ Flagg, James S.; Madison County Sesquicentennial Committee (1962). Our 150 Years, 1812?1962: In Commemoration of the Madison County Sesquicentennial. エドワーズビル (イリノイ州)(英語版): East 10 Publishing Company, Inc. p. 53. https://archive.org/details.php?identifier=our150years1812100flag
- ^ "An Ode to PATH's PA-1s", Philip G. Craig, ERA Bulletin, December 2011, page 16 https://erausa.org/pdf/bulletin/2011-12-bulletin.pdf
- ^ “Transportation: Back on the Rails”. タイム社. (August 28, 1964). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,876130,00.html
- ^ Moore, Bob (1994). Urban Innovation and Practical Partnerships: An Administrative History of Jefferson National Expansion Memorial, 1980-1991. ワシントンDC: National Park Service. http://cr.nps.gov/history/online_books/jeff/adhi2-4b.htm April 4, 2011閲覧。
- ^ Young and Provenzo, 267.
- ^ "St. Louis Business Center" Green Street: Portfolio
- ^ Southern California Railway Museum. “Pacific Electric 665”. 2020年5月9日閲覧。