セントルイス・ブラウンストッキングス (1875-1877年)

セントルイス・ブラウンストッキングス(1876年)

セントルイス・ブラウンストッキングスSt. Louis Brown Stockings)は、1875年から1877年まで、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスを本拠地とし、ナショナル・アソシエーションメジャーリーグナショナルリーグに所属していたプロ野球チーム。

球団史

[編集]

1875年に球団は創設され、当時強かったシカゴ・ホワイトストッキングス(のちのシカゴ・カブス)などにならって、「ブラウンストッキングス」という愛称をつけられた。同年ナショナル・アソシエーションに加盟、セントルイスにあったグランド・アベニュー・グラウンズを本拠地とした。投手の中心はジョージ・ブラッドリーで、高い打率と俊足を誇ったリップ・パイクとジョー・バッティンが攻撃の中心だった。また同年、後の300勝投手であるパッド・ガルヴィンがデビューした球団でもある。

1875年を最後にナショナル・アソシエーションが解散した後、チームは翌年発足したナショナルリーグに加盟した。1876年6月15日、チームの主力投手だったジョージ・ブラッドリーがメジャーリーグ史上最初のノーヒットノーランを達成するなどの活躍をし、この年チームは7割以上の勝率を上げた。

しかし翌1877年はブラッドリーやリップ・パイクが他チームに移籍し、チームは得点力不足に陥って成績が低迷する。球団は補強を画策し、ルイビル・グレイズの主力選手だったジム・デブリンジョージ・ホールと移籍の契約を結んだ。しかしこの両選手は、同年に起こったグレイズの八百長試合スキャンダルに巻き込まれ、後日ナショナルリーグから永久追放処分を受けることになる。ブラウンストッキングスは、このスキャンダルの余波を受ける形で同年倒産に追い込まれた。球団のフランチャイズ権は地元セントルイスの資産家に1800ドルで買い取られ、5年後の1882年に現在のセントルイス・カージナルスに至る新たな球団ができることになる。

戦績

[編集]
年度 リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 監督 本拠地
1875年 NA 70 41 43 .488 4位 ディッキー・ピアース Grand Avenue Park
1876年 NL 64 45 19 .703 3位 メイズ・グラッフェン
ジョージ・マクマナス
Sportsman's Park I
1877年 60 28 32 .408 4位 ジョージ・マクマナス

所属した主な選手

[編集]

主な球団記録

[編集]
  • 通算安打数:201(ジョー・バッティン)
  • 通算打点数:101(ジョー・バッティン)
  • 通算得点数:116(リップ・パイク)
  • 通算勝利数:78(ジョージ・ブラッドリー)
  • 通算奪三振:163(ジョージ・ブラッドリー)

出典・外部リンク

[編集]