セント・デイヴィッズ子爵 Viscount St Davids | |
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Arms:Argent a Lion rampant Sable ducally gorged and chained Or langued and armed Gules Crest:A Lion as in the Arms Supporters:Dexter: a Knight vested in chain armour the Jupon charged with the arms of Philipps and resting his exterior hand upon the Hilt of his Sword; Sinister: a Knight vested in plate armour his Jupon charged with the arms of Wogan (Or on a Chief Sable three Martlets of the field) and resting his exterior hand upon the Hilt of his Sword; both standing upon a Battlemented Wall all proper
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創設時期 | 1918年6月17日 |
創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
準男爵 | (ピクトンの)準男爵 |
初代 | 初代子爵ジョン・フィリップス |
現所有者 | 4代子爵ロドリー・フィリップス |
付随称号 | ストレンジ男爵(E) ハンガーフォード男爵(E) ド・モリンズ男爵(E) セント・デイヴィッズ男爵(UK) |
現況 | 存続 |
モットー | 愛国心こそ我が原動力 (Ducit Amor Patriae) |
セント・デイヴィッズ子爵(英: Viscount St Davids)はイギリスの子爵、貴族。連合王国貴族爵位。フィリップス準男爵[註釈 1]を前身として、自由党の政治家ジョン・フィリップスが1918年に叙位されて以降、フィリップス家が保持する。
分家筋にミルフォード男爵家がある。
フィリップス家はその歴史を12世紀にまで紐解けるウェールズ出身の旧家で、その祖アーロン・アプ・リースは獅子心王リチャード1世に従った人物であるという[1][2]。その子孫ジョン・フィリップス(?-1629)はペンブルックシャー選出の庶民院議員を務めたのち、1621年11月9日にイングランド準男爵位の「(ペンブルック州ピクトンの)準男爵[註釈 2](Baronet, of Picton, in the County of Pembroke)」を授けられた[2][3][4][5]。
ジョン以降は直系男子による継承が続いたが、その玄孫にあたる5代準男爵エラスムス(1699-1743)ののちはその弟ジョンの系統に移行した[3][5]。
その孫にあたるリチャード(1744-1823)はトーリー党の政治家で、1776年6月29日にアイルランド貴族として「ミルフォード男爵(Baron Milford)」に叙された[2][5][6]。しかし、彼の息子はトラファルガー海戦で戦死していたため、男爵位は彼一代で廃絶している[1][2]。他方、準男爵位は初代準男爵の三男ヒュー・フィリップスの系統にまで遡って、その子孫ローランドが継承した[2][3][5]。
8代準男爵ローランド(1840-1857)は家名に「ローアーン(Laugharne)」を加えたほか、最終的に三重姓(Philipps Laugharne Philipps)を姓名とした。彼ののちは弟ウィリアム、その息子ゴッドウィンの順で継承されたが、ゴッドウィンがわずか17歳で没すると8代準男爵の系統も途絶えた[5]。準男爵位は親族のジェームズ(11代準男爵、1793–1873)が相続されるとともに、以降は彼の子孫によって続いている。
11代準男爵ジェームズの孫にあたるジョン・フィリップス(1860-1938)は自由党の政治家で、ミッドラナークシャー選挙区やペンブルックシャー選挙区選出の庶民院議員を務めた[2][7]。彼は1908年に連合王国貴族として「ペンブルック州におけるロック城のセント・デイヴィッズ男爵(Baron St Davids, of Roch Castle in the County of Pembroke)」に叙されたのち、1918年にも「ペンブルック州リッドステップ・ヘブンのセント・デイヴィッズ子爵(Viscount St Davids, of Lydstep Haven in the County of Pembroke)」を授けられた[7][8][9]。これが現在まで続く子爵家の端緒である。ジョンは先妻との間に2人の息子がいたが、いずれも第一次世界大戦で戦死していたことから、後妻の長男ジェスティンが爵位を襲った[7]。
また、初代子爵の後妻エリザベス・アブニー=ヘイスティングズ(1884-1974)は1921年に古いイングランド貴族爵位の「ノッキンのストレンジ男爵(Baron Strange of Knokyn)」、「ハンガーフォード男爵(Baron Hungerford)」及び「ド・モリンズ男爵(Baron de Moleyns)」の停止解除を受けたため、彼女の息子ジェスティン以降は一連の爵位も歴代子爵の従属爵位に加わっている[註釈 3][10][11]。
ジェスティンの曾孫にあたる第4代子爵ロドリー(1966-)が子爵家現当主である。
2020年現在、彼には子供がおらずその弟ローランドにも男子がいない。したがって、ロドリー及びローランドがこのまま男子なく死去した場合、セント・デイヴィッズ子爵・男爵は廃絶することとなる。また、3つのイングランド貴族爵位も弟ローランドの娘(アンバーとシャーロット)の間で保持者不在に陥る可能性がある。
かつての一族の居城には、ペンブルックシャー州ハーヴァーフォードウェストに位置するピクトン城があった。
一族と爵位にかかるモットーは「愛国心こそ我が原動力(Ducit Amor Patriae)」[7]。
現当主である第4代セント・デイヴィッズ子爵ロドリー・フィリップスは、以下の爵位を有する[5][7]。ただし、現当主は準男爵位に関してはその継承権者と証明されていないため、推定である[7]。
爵位の推定相続人は、現当主の弟であるローランド・オーガスト・ジェスティン・エスタニスラオ・フィリップス閣下(1970-)。彼以外にセント・デイヴィッズ子爵・男爵の継承権者は存在しない。
ストレンジ男爵、ハンガーフォード男爵及びド・モリンズ男爵位の共同推定相続人は、弟の娘であるアンバー・フィリップス(1998-)及びシャーロット・フィリップス(2000-)。
準男爵位の推定相続人は、親族の第4代ミルフォード男爵ガイ・フィリップス(1961-)。