ゼッキーノ・ドーロ (Lo Zecchino d'Oro) | |
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ジャンル | 音楽番組 |
監督 | イーゴル・スコフィック |
出演者 | フラヴィオ・モントルッキオ (Flavio Montrucchio)、クリステル・カルリージ (Cristèl Carrisi)ほか |
製作 | |
制作 | Rai Uno |
放送 | |
放送国・地域 | イタリア |
放送期間 | 1959年 - 放送中 |
放送時間 | 11月17-21日 |
放送分 | 105分、最終日のみ165分 |
zecchinodoro.org | |
特記事項: 上記は2015年放映分の情報。 |
ゼッキーノ・ドーロ(イタリア語:Lo Zecchino d'Oro、日本語では「ゼッキノ・ドロ」「ゼッキノ・ドーロ」などとも表記される)は、イタリアのボローニャ市で年1回開催される、子供の歌のための国際歌唱コンクールである。コンクールの模様は、コンクールそのものと同じ「Lo Zecchino d'Oro」のタイトルでRai Unoのテレビ番組およびラジオ番組で中継されるほか、ユーロビジョンを通じてヨーロッパ諸国でもテレビ放映される。
コンクールの出場者は3歳から10歳までの児童に限定されている。2007年(第50回)までは、審査員も12歳以下の児童のみに限定されていた(第51回からは大人も審査に加わるようになった。後述)。
ゼッキーノ・ドーロの出場曲のいくつかは日本でも日本語詞をつけて紹介されている。日本でよく知られた歌曲に、『44ひきのねこ』『トレロ・カモミロ』『ちびっこカウボーイ』『黒ネコのタンゴ』などがある。
ゼッキーノ・ドーロは、「子供のための歌を子供が歌い子供が審査する音楽コンクール」として、1959年より毎年1回開催されている。1959年(第1回)と1960年(第2回)は、イタリアのミラノ市で開催された。1961年(第3回)からはボローニャ市のアントニアーノ協会の主催により、同市で開催されている。なお、1976年には、開催時期をずらす目的で3月(第18回)と11月(第19回)の2回が開催された。現行(2001年以降)の開催日程は11月後半の5日間である。
「ゼッキーノ・ドーロ」は、コンクール最終日の審査で最高得点を得た出場者に贈呈される賞の名称でもある。この名称は「金のゼッキーノ貨幣」を意味する。賞の形状は、コンクールのアイディアの元となった童話『ピノキオ』の物語にちなんで金貨を模したデザインになっている。また、このコンクールを放映するイタリアの国営放送チャンネルRai Unoの番組およびユーロビジョンの番組のタイトルも「ゼッキーノ・ドーロ」である。
ゼッキーノ・ドーロは、第18回(1976年3月)より国際大会となっている。また同回次からUNICEFの後援を受けるようにもなった。国外出場者の組数は、2007年(第50回)までは出場者14組の半数である7組であり、2008年(第51回)以降は出場者12組の3分の1である4組である。出場者は母語がイタリア語であるかないかに関わらずイタリア語で歌唱する。イタリア語を母語としない出場者の場合は、歌の一部分を母語でも歌うことが多い。出場した歌は、出場者たち自身の歌唱でスタジオ録音され、CD化されて発売される(CDになる以前は45回転レコードであった)。
1960年代以降生まれの世代にとって、ゼッキーノ・ドーロはなじみある文化と受け取られるようになっている。2008年にClub e Centri UNESCOの開催した式典で「平和的文化財産」の賞牌を授与されたことにも、ゼッキーノ・ドーロが重きを置かれて見られていることが現れている。
コンクール内でしばしば強調して言及されることだが、ゼッキーノ・ドーロの評価や授賞の対象となるのは、歌曲そのものや作詞者・作曲者であって、出場して歌唱した児童ではない。このことは初回開催時以来常に同じである。
この音楽祭は、イタリアのテレビ司会者であるチノ・トルトレッラ(後述)が1959年に、児童を対象とした子供向け音楽のコンクールを開催することを発案したことに始まる。このアイディアは、同年にミラノで行われたイベント「サローネ・デル・バンビーノ」の折に進展をみた。マリオ・パンツェーリによって書かれた『Lettera a Pinocchio(邦題:ピノキオへの手紙)』は、カルロ・コッローディ作の童話の登場人物として馴染み深い操り人形のピノッキオに献じられた歌であるが、ジョニー・ドレルリの歌唱によって、優れた歌曲として、またこのイベントにおける最高の曲として、大人にも子供にも印象深いものとなった。
この当時既に番組『木曜日の魔法使いズルリ(Zurlì, il mago del giovedì)』で魔術師ズルリの役を務めていたトルトレッラは、ゼッキーノ・ドーロの第1回めを、ピノッキオの物語で金貨の木が芽生える印象深い場面までの物語として(いくばくかの独自演出を加えつつ)構成した。コンクールの名称は、この「金貨(ゼッキーノ)の木」に由来している。
ゼッキーノ・ドーロは、作曲家・作曲家たちが子供向けの歌を創作するようにと、彼らの意欲を刺激し奨励する効果を持つようになった。このコンクールによる収益金は、世界の恵まれない地域への募金活動「ソリダリエタの花(Il Fiore della Solidarietà)」のために貯蓄される。
賞名の日本語訳は読者の理解を助けるための便宜的なものであり、定訳となっているものではありません。
ゼッキーノ・ドーロは、現在(2001年以降)、ボローニャのアントニアーノ協会の敷地内にあるテレビスタジオで11月に開催されている。出場する歌曲は、第18回 - 第50回ではイタリア国内・国外からの出場歌曲がそれぞれ7曲の計14曲を基本としていたが、2008年の第51回以降は国内出場曲が8曲、国外出場曲が4曲に変更された。以降国外からの出場曲は、2012年は全12曲のうち3曲、2013年は2曲、2014年は1曲と、漸減傾向にある。
審査方法は基本的にスタジオ審査である。出場する各歌曲に対し、10-20人(日によって人数が異なる)の審査員が6点(全然気に入らない)から10点(非常に気に入った)までの5段階で評価する。その日の審査員全員の出した点数を合計し、各日における順位を決める。第50回までは、審査員はすべて12歳以下の児童のみで構成されていた。第51回からは大人も審査に加わるようになったが、最終日の審査はこれまでと同様に12歳以下の児童のみが審査員となる。
第56回からは、初日は楽曲の披露のみにとどまり、審査は2日め以降から行われる。
1959年の初回から授与されている賞。各回の最終日の審査で最高得点を得た歌曲(複数の歌曲が該当する場合はその全て)に授与される。
ゼッキーノ・ドーロが国際大会になった第18回(1976年)から第50回(2007年)まで授与されていた部門優勝賞。第56回(2013年)と第57回(2014年)に復活した。ゼッキーノ金貨賞とは独立に審査されて授与されるため、ゼッキーノ金貨賞とゼッキーノ銀貨賞の両方を授与される歌曲もある。
第18回から第50回では、コンクールの初日にイタリア国内出場者のみの部門コンクール、2日目にイタリア国外出場者のみの部門コンクールが行われ、各日における部門審査で最高点を得た歌曲(複数の歌曲が該当する場合はその全て)に授与された。第56回からは、第4日めの最高得点を獲得した歌曲に贈られる賞となっている。
第51回から第55回ではゼッキーノ銀貨賞が廃止され、かわりに赤・白・青・緑・金のゼッキーノ貨幣が各日の最高得点を得た歌曲に授与されるシステムになっていた。審査員の構成は各年によって変化した。
最終日(5日目)の審査は8歳から12歳までの児童たち20人によって行われ、賞は従来どおり金のゼッキーノ貨幣である。
ゼッキーノ・ドーロに深く関わる人物には、以下の人たちがいる。
以下はイタリア国内でよく知られているゼッキーノ・ドーロの出場曲である。この他の出場曲は、イタリア語版ウィキペディアのゼッキーノ・ドーロカテゴリーから各年の出場曲目を参照されたい。
題名の日本語訳は、理解を助けるための直訳ないし意訳であり、各曲の日本語題として通用されているものではありません。
『I cartoni dello Zecchino d'Oro』は、ゼッキーノ・ドーロの出場曲に、それに合わせた内容の短編アニメを施した短編アニメである。制作はデ・マス&パートナーズ (it:de Mas & Partners) と、RAIフィクションとアントニアーノ・プロダクションの三者の合作である。2000年から作成が始められ、2014年の時点で10シリーズ、合計で129作品のアニメ作品が制作済みである。長さは1作品あたり2分半前後である。これらのアニメ作品は、初めにRaiUnoで放送され、それからVHSやDVDでビデオ商品化された。
各アニメ作品には、セル画、3D、フラッシュ、ストップモーションなど、さまざまな映像技術が使用されている。制作に取り組んだアニメ作家たちが自在に演出したため、各アニメのスタイルは多様性に富んでいる。
歌曲の題はイタリア語題とその和訳のみを、歌唱者名はカナ表記とイタリア語表記とを記す。歌唱者名のあとの国名表記はその出場者の出身国を示す(表記がないときはイタリアからの出場)。
歌曲の題名の訳は、理解を助けるための直訳ないし意訳であり、各曲の日本語題として通用されているものではありません(例外的に、訳と日本語題とが一致している歌曲も少数あります)。
イタリア語資料を参照しているため、氏名の用字が不明である出場者がいます。その場合、氏名をひらがな書きにしています。
国際大会になる前のゼッキーノ・ドーロに出場した日本人が2名いる。いずれもイタリア人児童との2人組として出場した。
ゼッキーノ・ドーロが国際大会になってからの日本人の出場者は、2011年(第54回)までに9組を数える。この数は、第18回以降のイタリア国外出場者のうちでは、ポルトガルと米国(いずれも11組)、フランス(10組)に次いで多い。
1989年(第32回)には、同年のピアノコンクール「プレミオモーツァルト国際コンクール」に出場しプレミオモーツァルト賞を受賞した松本あすかがゼッキーノ・ドーロのスタジオにゲスト出演し、ピアノの生演奏を披露した。
ゼッキーノ・ドーロの出場曲のうち、日本人による歌唱で放送ないしリリースされたものの一覧である。もともと日本の愛唱歌とされていた作品は除く。ここに挙げた歌の大部分には日本語歌詞がつけられている。NHKテレビ・ラジオ『みんなのうた』やNHK教育『母と子のテレビタイム』で放送されたことがあるものが多い。
イタリア語題に続く日本語はイタリア語題の直訳ないし意訳です。邦題がイタリア語題の直訳と一致した場合でも両方を掲載しました。