ゼットランド侯爵 Marquess of Zetland | |
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創設時期 | 1892年8月22日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 3代伯ローレンス・ダンダス |
現所有者 | 4代侯マーク・ダンダス |
相続人 | ロナルドセイ伯ロビン・ダンダス |
付随称号 | ゼットランド伯 ロナルドセイ伯 ダンダス男爵(GB) (カースの)準男爵 |
邸宅 | アスク・ホール |
モットー | やってみよ(Essayez) |
ゼットランド侯爵(英語: Marquess of Zetland)は、イギリスの侯爵位。連合王国貴族爵位。
カースのダンダス準男爵、ダンダス男爵、ゼットランド伯爵を前身とし、第3代ゼットランド伯爵ローレンス・ダンダスが1892年に叙されたことに始まる。
ダンダス家の祖ローレンス・ダンダス(1710–1781)は、1745年のジャコバイトの反乱鎮圧戦争と1756年から1763年にかけての七年戦争において英国陸軍に商品を提供することで財を築いた[1]。庶民院議員として政界でも活躍し、1762年11月23日にはグレートブリテン準男爵位「リンリスゴー州におけるカースのダンダス準男爵(Baronet, of Kerse in the County of Linlithgow)」に叙せられた[2]。
その長男である第2代準男爵サー・トマス・ダンダス(1741–1820)もホイッグ党の庶民院議員として活躍し、1794年8月13日にはグレートブリテン貴族爵位「ヨーク州におけるノース・ヨークシャー・アスクのダンダス男爵 (Baron Dundas, of Aske, North Yorkshire in the County of York)」に叙せられた[3]。これが貴族としてのダンダス家の始まりである。
その息子ローレンス・ダンダス(1766–1839)も襲爵前にホイッグ党の庶民院議員を務め、1820年に父から第2代ダンダス男爵位を継承し、さらに晩年の1838年7月2日に連合王国貴族爵位「ゼットランド伯爵(Earl of Zetland)」に叙せられた[4]。
その長男である2代ゼットランド伯爵トマス・ダンダス(1795–1873)には子供がなかったため、3代ゼットランド伯爵位は初代伯の末子の長男であるローレンス・ダンダス(1844–1929)が継承した。彼は自由党の政治家として自由党政権期の1889年から1892年にかけてアイルランド総督を務め、1892年8月22日には「オークニー及びゼットランド州におけるロナルドセイ伯爵 (Earl of Ronaldshay, in the County of Orkney and Zetland)」と「ゼットランド侯爵(Marquess of Zetland)」に叙せられた[5][6]。
その息子である第2代ゼットランド侯爵ローレンス・ジョン・ラムリー・ダンダス (1876–1961)は、保守党の政治家として保守党政権期の1935年から1940年にかけて植民地インドの事務を司るインド大臣(インド・ビルマ担当大臣)を務めている[7][8]。
彼の死後、その長男であるローレンス・アルフレッド・マーヴィン・ダンダス(1908–1989)が第3代ゼットランド侯爵位を継承した[9]。彼の死後は、その長男ローレンス・マーク・ダンダス(1937-)が4代侯爵位を継承し、2015年現在も彼が当主である[10]。
一族の本邸はノース・ヨークシャーのリッチモンドにあるアスク・ホールである。同邸宅は1763年に初代準男爵ローレンス・ダンダスが購入して以来、2015年現在に至るまでダンダス家が所有し続けている。ただし3代ゼットランド侯爵ローレンスの代の1962年から1963年にかけて屋敷の規模を縮小改築している[11]。
現当主の第4代ゼットランド侯爵マーク・ダンダスは、以下の爵位・準男爵位を有する[12]。