ソリーン・ダンザン Солийн Данзан | |
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ソリーン・ダンザン(1924年撮影) | |
生年月日 | 1885年 |
没年月日 | 1924年 |
所属政党 | モンゴル人民革命党 |
党議長 | |
在任期間 | 1921年 - 1924年 |
ソリーン・ダンザン(Солийн Данзан、Soliin Danzan、1885年 – 1924年[1])は、モンゴルの革命家、政治家。モンゴル人民革命党議長。官僚から革命家を経て、モンゴル人民革命党を結成した「最初の7人」の一人。
税関職員として勤務した後、1919年秘密革命組織ズーン・フレー・グループ(東庫倫グループ)を結成する。1921年3月、モンゴル人民党(後のモンゴル人民革命党)第1回党大会で議長に選出された。同年6月、人民政府が樹立されると大蔵大臣に就任した。以後、副首相兼モンゴル軍司令官を務める。1924年8月の第3回党大会で議長を務めるが、エルベグドルジ・リンチノとの間で路線対立を起こし、ダンザンは権力闘争に敗北、「資本主義者」として逮捕、処刑された。