タイリー・グレン Tyree Glenn | |
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タイリー・グレン(1947年) | |
基本情報 | |
出生名 | William Tyree Glenn |
生誕 | 1912年11月23日 |
出身地 | アメリカ合衆国 テキサス州コルシカーナ |
死没 | 1974年5月18日(61歳没) |
ジャンル | スウィング・ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | トロンボーン、ヴィブラフォン |
タイリー・グレン(Tyree Glenn、1912年11月23日 - 1974年5月18日)は、アメリカのトロンボーンおよびヴィブラフォン奏者[1][2][3]。
タイリー・グレンは、地元テキサスのバンドでトロンボーンとヴィブラフォンを演奏した後、1930年代初頭にワシントンD.C.に移り、スウィング時代のいくつかの著名なバンドと共演している[1]。ボブ・ヤングと共演し(1930年)、その後はトミー・マイルズのバンドに参加した(1934年–1936年)。マイルズの元を去った後、西海岸に移り、チャーリー・エコルズが率いるグループで演奏した (1936年)。さらに、エディ・ベアフィールド(1936年)、エディ・マロリーのバンド(1937年)、ベニー・カーター(1937年)と共演し、1939年から1946年までキャブ・キャロウェイと共演した[1]。
彼はドン・レッドマンのビッグ・バンドと共にヨーロッパをツアーした(1946年)。1947年から1951年までは、トリッキー・サム・ナントンに由来するスタイルのワウ・トロンボーン奏者として、またエリントン楽団唯一のヴィブラフォン奏者としてデューク・エリントンと共演し、「リベリア組曲 (Liberian Suite)」でよくフィーチャーされた[1]。その後、ハワード・ビッグス・オーケストラとも共演している。
1950年代、グレンはスタジオで音楽活動を行い[1]、エンバーズでカルテットを率いて、テレビ、ラジオ、演劇の仕事をし、スウィングやディキシーランドを扱うフリーランスとなった。1953年、ジャック・スターリングのニューヨーク・デイリー・ラジオ・ショウに参加し、1963年までそこに留まった。1965年から1968年の間、ルイ・アームストロングのオール・スターズで世界をツアーして廻り、1971年にアームストロングが亡くなるまで演奏した[1]。その後、最後の数年間は、自身のグループを率いた[1]。
また、彼はスタジオ・ミュージシャンにして、俳優でもあった。彼は、デューク・エリントンとエロル・ガーナーによって録音された「Sultry Serenade」を作曲している[1]。アラン・ロバーツが歌詞を追加したことで、この曲は「How Could You Do a Thing Like That to Me?」として知られるようになり、フランク・シナトラによって録音された[1]。
グレンはニュージャージー州イングルウッドに暮らしていたが[4]、61歳で癌によって亡くなった。彼には2人の息子、タイリー・ジュニアとロジャーがおり、どちらもミュージシャンとなった[1]。
インディペンデント・ミュージック・アワード 2013 : Satchmo at the National Press Club: Red Beans and Rice-ly Yours - 最優秀リイシュー・アルバム[5]
ジャック・スターリング・クインテット