タイ・ホンダFC | ||
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愛称 | Eagle | |
創設年 | 1995年 | |
解散年 | 2019年 | |
所属リーグ | タイ・ディヴィジョン1リーグ | |
ホームタウン | バンコク | |
ホームスタジアム | 72周年記念スタジアム[1] | |
収容人数 | 8,500[1] | |
公式サイト | 公式サイト | |
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
タイ・ホンダ・フットボールクラブ(タイ語: สโมสรฟุตบอลไทยฮอนด้า, 英語: Thai Honda Football Club)は、タイ王国のバンコクをホームタウンとするサッカークラブ。本田技研工業の二輪車現地法人であるAPホンダがスポンサーに付いていた。
1971年(仏滅紀元2514年)、タイ・ホンダFCはAPホンダの従業員のサッカーチームとして誕生した。1995年(2538年)、公式にタイ・ホンダFCが創設された。[2]
2002年、当時5部リーグのNgor Royal Cup(タイ語: ถ้วย พระราชทาน ง)で2位になった。2003年に同4部リーグのKhor Royal Cup(タイ語: ถ้วย พระราชทาน ค)、2004年に同3部リーグのKhǒr Royal Cup(タイ語: ถ้วย พระราชทาน ข)で優勝した。
2005年、タイ・ディヴィジョン1リーグで2位になり、クラブ初のタイ・プレミアリーグ昇格を果たした。
2008年、ディヴィジョン1リーグで降格圏の13位に終わったが、プレミアリーグからディヴィジョン1リーグへ降格が決まったバンコク・バンクFCが撤退したため、降格圏の4チームによる残留プレーオフが実施された。タイ・ホンダは優勝し、ディヴィジョン1リーグ残留を決めた。また、リージョナルリーグ・ディヴィジョン2からディヴィジョン1リーグへ昇格が決まっていたアーミー・ウエルフェアー・デパートメントFCも撤退したため、プレーオフ準優勝のナコーンサワンFCも残留が決まった。
2009年、滝雅美が監督に就任し、タイ・リーグ史上初の日本人監督となった。
2010年、エンブレムはウイングマークが取り入れられた鷲のデザインに変更された。ウイングマークはHondaブランドのオートバイで採用されている[2]。同年、滝が監督を退任。翌2011年はディヴィジョン1リーグ18位でディヴィジョン2に降格してしまう。
2012年、リージョナルリーグ・ディヴィジョン2のバンコク地域リーグで優勝した。しかし、チャンピオンズリーグではグループBの5位に終わり、ディヴィジョン1リーグ昇格を逃した。
2014年、滝が再び監督に就任。バンコク地域リーグで2回目の優勝を果たした。チャンピオンズリーグのグループBでも優勝し、4シーズンぶりのディヴィジョン1リーグ復帰を決めた。優勝決定戦ではグループA優勝のプラチュワップFCに2戦合計1-1(アウェーゴール)で敗れた[3]。
滝が監督を退任してゼネラルマネージャーに就任した2016年はディヴィジョン1リーグ優勝を果たす。10年ぶりにタイ・リーグ1への復帰を果たした2017年にはホンダの工場があるラートクラバン区にちなんで、クラブ名を「タイ・ホンダ・ラートクラバン・フットボールクラブ」(タイ語: ไทยฮอนด้า ลาดกระบัง เอฟซี、英語: Thai Honda Ladkrabang Football Club)に改称した。しかし、この年は滝をはじめとして日本人スタッフのほとんどが退団し、リーグでは16位に終わって1年で再びタイ・リーグ2に降格となった。翌2018年には再びクラブ名をタイ・ホンダに戻した。
2019年シーズン終了後、財政難によってクラブは活動を休止。
出典[2]
シーズン | ディビジョン | 順位 | FAカップ |
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2002 | Ngor Royal Cup | 2位 | |
2003 | Khor Royal Cup | 優勝 | |
2004 | 優勝 | ||
2004-05 | Div.1 | 2位 | |
2006 | プレミア | 11位 | |
2007 | 14位 | ||
2008 | Div.1 | 13位 | |
2009 | 11位 | 2回戦 | |
2010 | 8位 | 2回戦 | |
2011 | 18位 | 棄権 | |
2012 | Div.2 バンコク |
優勝 | 2回戦 |
2013 | 5位 | 2回戦 | |
2014 | 優勝 | 3回戦 | |
2015 | Div.1 | 位 |
出典[2]