タコ・メスダフ | |
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Taco Mesdag | |
![]() 1880年ころのタコ・メスダフ | |
生誕 |
1829年9月21日 オランダ、フローニンゲン |
死没 |
1902年8月4日 (72歳没) オランダ、デン・ハーグ |
タコ・メスダフ(Taco Mesdag、1829年9月21日 - 1902年8月4日)は、オランダの銀行家、画家である。 「ハーグ派」の有力な画家、ヘンドリック・ウィレム・メスダフの兄で、50歳を越えてから画家の仕事に専念し、風景画を描いた。
フローニンゲンで生まれた。父親のクラース・メスダフ(Klaas Mesdag)は銀行家でアマチュア画家であり、父親から絵を学んだ[1]。弟のヘンドリック・ウィレム・メスダフ(1831-1915)とともに父親の銀行で働くが、弟は1856年に裕福な商人の娘のシーナ・ファン・ハウテンと結婚し、1864年から画家の仕事に専念した。タコ・メスダフは1881年になって画家になる決意をし、銀行の仕事を辞めた。
1882年に医者の娘でフローニンゲンの美術学校(Academie Minerva)で学んでいたへーシェ・ファン・カルカー(Geesje van Calcar: 1850/51–1936)と結婚した[2]。妻とともに風景画家のパウル・ハブリエル(1828-1903)に学んだ[3]。夫妻はヘンドリック・ウィレム・メスダフ夫妻が活動していたデン・ハーグで暮らし、夏の間はフローニンゲンに近いドレンテ州のTynaarloの別荘で暮らした。この別荘にはヘンドリック・ウィレム・メスダフ夫妻も滞在し、風景画を描いた[4]。
「ハーグ派」の美術団体「プルクリ・スタジオ」の会長を弟が務めた時、タコ・メスダフは会計係を務めた[3]。
妻とともに美術品の収集も行ない、没後、タコ・メスダフの作品の多くとハーグ派の絵画のコレクションは未亡人によって、現在のフローニンゲン美術館に寄贈された。