1985年、最初の商業作品が『Cracked』誌に掲載された。その後1989年まで同誌への寄稿を続けた。同誌では「Stosh Gillespie」をはじめとして多くの筆名を用いたが、最後には本名を名乗るようになった。原作者モート・トッドとの共作 The Uggly Family シリーズはたびたび同誌に掲載された。1985年、ロイド・ルウェリン(Lloyd Llewellyn)というキャラクターを主人公とするコミックの第一作をファンタグラフィックス社の編集者ゲイリー・グロスに送った。同作はほどなくヘルナンデス兄弟(英語版)のコミックブックシリーズ『ラブ・アンド・ロケッツ』第13号に掲載された。1986年と1987年にはファンタグラフィックスから雑誌サイズ白黒印刷のコミックブック『ロイド・ルウェリン』が6号発行された。ルウェリンシリーズは1988年の特別号『オールニュー・ロイド・ルウェリン』で終了した。
第1~18号は短編を主体とした構成で、そのジャンルはコミカルな独白やフロイド的分析からおとぎ話や文化批評まで幅広い。またこれらの号には長編の一部が掲載され、完結とともにグラフィックノベルとして刊行された。『鉄で造ったベルベットの手袋のように』(1993年)、Pussey!(1995年)、『ゴーストワールド』(1997年)の三編である。第19号からは形式が一新された。大判白黒印刷で刊行された第19~21号は長篇 David Boring を1幕ずつ分載したものだった。同作は2000年にグラフィックノベルとして刊行された。再び形式が変更された第22号は『エイトボール』初のフルカラー印刷で、グラフィックノベルの長さの単発作品 Ice Haven が掲載された。最終号となった第23号でもフルカラーの単発作品「ザ・デス・レイ(英語版)」が掲載された。
1990年代初頭にシアトルのレコードレーベルサブ・ポップと関係を持ち、ジー・ヘッドコーツやスーパーサッカーズなどのバンドや、『ジョン・ピール・セッションズ (The John Peel Sessions)』や The Sub Pop Video Program のようなコンピレーションのアートワークを手掛けた。クロウズがデザインしたマスコットキャラクターのパンキー (Punky) はTシャツやパドルボール(英語版)、時計などの商品にプリントされた。1994年にはラモーンズのミュージック・ビデオ「大人なんかになるものか (I Don't Want to Grow Up)」にイラストレーションを提供した。
2004年の『エイトボール』終刊以降はフルカラーのグラフィックノベルに発表の場を移した。その皮切りとなった2005年の Ice Haven は『エイトボール』第22号に掲載された作品の改訂版である。2010年、ドローン&クォーターリー(英語版)社から初の書き下ろしグラフィックノベル『ウィルソン』が刊行された。翌年、パンテオン・ブックス(英語版)から Mr. Wonderful が刊行された。2007年から2008年にかけて『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌に週刊連載された作品のフォーマットを変更したもので、クロウズによれば「恋愛もの」であった[7]。同年にドローン&クォーターリーは『エイトボール』第23号初出の『ザ・デス・レイ』をハードカバーで刊行した。
この時期から『ニューヨーカー』誌の表紙を描き始めた。また、ゼイディー・スミスが編集したアンソロジー The Book of Other People(2008年)や有力な芸術系コミックアンソロジー Kramers Ergot(第7号、2008年)にコミックを寄稿した。2006年、健康の危機に直面して[8]、心臓切開手術を受けた。2016年3月には過去最長のグラフィックノベル Patience が米国で発売された。
同作の主人公イーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)はどことも知れないアメリカの小都市に住む親友どうしで、ハイスクールの同級生のほとんどをバカにしている。卒業後、二人は進学せずに同居生活を始めようと計画するが、大人になることの重圧が互いとの関係をぎくしゃくさせていく。二人はレコードおたくのシーモア(スティーブ・ブシェミ)をからかい始めるが、イーニドは案に相違して彼と実際に親密になり、一方でレベッカとの距離は離れていく。同作は2002年のアカデミー脚色賞をはじめとして多くの賞にノミネートされ、様々な「2001年のベスト」リストに載せられた[12]。2001年、ファンタグラフィックスから Ghost Word: A Screenplay が刊行された。
クロウズの映画第2作『アートスクール・コンフィデンシャル』は1980年代の初めにプラット・インスティチュートで得た経験を下敷きにしている(同題の4ページの漫画作品でも経験の一部が語られている)。監督は前作と同じくツワイゴフ、脚本はクロウズで製作された。世界一の芸術家になることを夢見る芸大生、ジェローム(マックス・ミンゲラ)を主人公とする作品である。同作は『ゴーストワールド』ほどの好評を得ることはなかった[13]。2006年、ファンタグラフィックス社から Art School Confidential: A Screenplay が刊行された。
このほか、企画が検討された、もしくは製作が開始された映画のプロジェクトが少なくとも4本ある。その1本目はミシェル・ゴンドリー監督、クロウズ脚本によるルーディ・ラッカーの小説『時空の支配者 (Master of Space and Time)』の映画化である。クロウズによると同作の企画は具体化せず、「2006年のサンディエゴ・コミコンでお蔵入りの告知をした」という[14]。2006年からは、ジャック・ブラック監督のブラック&ホワイト・プロダクションのプロデュースのもとで『ザ・デス・レイ』を原作とする脚本を書き始めた[15]。クロウズはまた、3人の少年が7年間かけて『レイダース/失われたアーク』を全ショット原典通りにリメイクしたという実話に基づいて脚本を書いた[16]。2014年現在、これら2篇のプロジェクトはいずれも正式に始動していない。2016年にはフォーカス・フィーチャーズのために自作 Patience の脚色を行う予定である[17]。
2013年12月、シャイア・ラブーフの短編映画 Howard Cantour.com がオンライン公開された。その直後、独立系コミックのファンにより、クロウズが2008年にチャリティ・アンソロジー The Book of Other People に寄稿した Justin M. Damiano と同作が酷似していることが指摘された[24]。ラブーフは公開を取り下げたが、「盗作」とは認めず、「参考にした」「創作活動に夢中だった」と述べた。ラブーフは後にTwitterで数度の謝罪を行った。「アマチュア映画監督として気持ちが高ぶっていて経験もなかったので、創作活動に没入して、適切な認定を怠ってしまった」「こんなことになって本当に残念に思う。@danielclowesにわかってほしいんだけど、彼の作品には大きな尊敬を抱いている」これを受けてクロウズは以下のように述べた。「その映画については今朝知った。誰かがリンクを送ってきたんだ。ラブーフ氏とは会ったことも話したこともない […] 彼がどういうつもりだったのか想像もつかない」[25]
クロウズのヒット作の中には、『ゴーストワールド』や The Party のようにジェネレーションXと結び付けられるものがある(The Party はダグラス・ラシュコフ(英語版)が1994年に編集した GenX Reader に再録された)。思春期後の目的喪失感への拘りはこの世代の特徴だが、それは1990年代のクロウズの主題の一つでもあった。思春期後の不安を主なモチーフとするエイドリアン・トミネやクレイグ・トンプソン(英語版)(『Habibi』)のようなコミック作家は、クロウズが拓いた道を歩んできたといえる。
^The Comics Journal (ISBN978-1-56097-984-5), issue 294, Dec. 2008, page 102: In a one-page strip, sent to the magazine as a holiday card, Clowes has his son, Charlie, "looking back at 2006 AD." "Charlie Clowes" says "2006 was quite a year... Daddy had open-heart surgery and mommy had to take care of him while he just sat in a chair for two months, and he still can't even pick me up."