チェッカー・レコード Checker Records | |
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設立 | 1952年 |
設立者 | レナード・チェス フィル・チェス |
現況 | 活動休止 |
ジャンル | ブルース リズム・アンド・ブルース ドゥワップ ゴスペル ロックンロール ソウル |
国 | アメリカ合衆国 |
本社所在地 | イリノイ州シカゴ |
チェッカー・レコード (Checker Records) は、1952年にイリノイ州シカゴで、チェス・レコード傘下に設立され、現在は休眠状態になっているアメリカ合衆国のレコードレーベル。このレーベルは、レナードとフィルのチェス兄弟によって設立され、運営されていたが、レナードの死去の少し前の1969年にジェネラル・レコーデッド・テープ (GRT) に売却された。
このレーベルは、もっぱらアフリカ系アメリカ人のアーティストやグループの録音をリリースしていた。 チェッカーのリリースは、
と、幅広いジャンルに及んでいた。
1971年にGRTがチェス・レコード関係のカタログの整理処分を行なった際に、このレーベルは機能を停止した[1]。このレーベルのカタログは、カデット・レコードやチェス・レコードと同様に、ユニバーサル ミュージック グループが所有しており[2]、ゲフィン・レコードとチェスからリリースされている。
チェス・レコードの事業拡大を受け、また、シングルの放送機会を増やすべく、チェス兄弟は傘下の別レーベルとしてチェッカーを立ち上げた。このレーベルからの最初のシングルは、1952年4月に Checker 750 としてリリースされた、サックス・マラードと彼の楽団による「Slow Caboose / Darling, Let's Give Love a Chance」であった[3]。
このレーベルで、初期に最も人気が高かったリトル・ウォルターは、『ビルボード』誌の「トップ・リズム・アンド・ブルース・レコード」(後の Hot R&B/Hip-Hop Songs の前身)のチャートのトップ10に、10曲を送り込んだ。その中には、チャートの首位に立った「Juke」も含まれており[4]、この録音は2008年にグラミーの殿堂入りを果たした[5]。
チェッカーは、エルモア・ジェームス、アーサー・"ビッグ・ボーイ"・クルーダップ(Perry Lee Crudup 名義)、メンフィス・ミニーなど、既に著名であったブルース・ミュージシャンたちのシングルもリリースしたが、いずれも売上は振るわなかった[3][6]。チェッカーで何とかヒットを出したブルース・ミュージシャンとしてはサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIがおり、彼の1955年のシングル「Don't Start Me Talkin'」はチャートの3位まで、1956年の「Keep It to Yourself」は14位まで、1963年の「Help Me」は24位まで上昇した[4]。
1955年3月2日、チェス兄弟は、彼らにとって最初のロックンロールのアーティストとなったボ・ディドリーの吹き込みを行なった。このセッションから生まれた、セルフタイトルのチェッカーでのデビュー・シングル「Bo Diddley」は[6]、R&Bチャートの首位に達し[4]、後に1998年にはグラミーの殿堂入りを果たした。ディドリーがチェッカーからリリースしたシングルの中では、「Who Do You Love?」も2010年にグラミーの殿堂入りとなった[5]。1957年、チェッカーは、デイル・ホーキンスによってロカビリー市場にも参入し、ホーキンスの「Susie Q」はジャンルを超えたクロスオーバーのヒットとなったが、その後のホーキンスのシングルは振るわなかった。
1958年、チェッカーは12インチ33⅓回転のLP盤を初めて手がけ、『the Best of Little Walter』を Checker LP-1428 としてリリースした[7]。