チェルニーヒウ公 またはチェルニゴフ公(ウクライナ語:князь чернігівський;ロシア語:князь черниговский)は、ルーシの国家の一つチェルニーヒウ公国の公(クニャージ)であり、公国の主権者またはそれに準ずる地位にあった者。同公国は現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア連邦の3国家の歴史的地域の一部。
チェルニゴフ公
- 1024年-1036年 ムスチスラフ・ウラジーミロヴィチ
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- 1054年-1073年 スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ
- 1073年-1076年 フセヴォロド・ヤロスラヴィチ
- 1076年-1077年 ウラジーミル・モノマフ
- 1077年 ボリス・ヴャチェスラヴィチ
- 1077年-1078年 フセヴォロド・ヤロスラヴィチ(復位)
- 1078年 オレグ・スヴャトスラヴィチ
- 1078年-1094年 ウラジーミル・モノマフ(復位)
- 1094年-1097年 オレグ・スヴャトスラヴィチ(復位)
- 1097年-1123年 ダヴィド・スヴャトスラヴィチ
- 1123年-1126年 ヤロスラフ・スヴャトスラヴィチ
- 1126年-1139年 フセヴォロド・オレゴヴィチ
- 1139年-1151年 ウラジーミル・ダヴィドヴィチ
- 1151年-1154年 イジャスラフ・ダヴィドヴィチ
- 1157年-1164年 スヴャトラフ・オレゴヴィチ
- 1164年 オレグ・スヴャトスラヴィチ(オレグ2世)
- 1164年-1177年 スヴャトラフ・フセヴォロドヴィチ
- 1177年-1198年 ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ
- 1198年-1202年 イーゴリ・スヴャトスラヴィチ
- 1202年-1204年 オレグ・スヴャトスラヴィチ
- 1204年 フセヴォロド・スヴャトスラヴィチ
- 1214年 リューリク・ロスチスラヴィチ
- 1214年-1215年 フセヴォロド・スヴャトスラヴィチ(復位)
- 1215年 ダヴィド・オレゴヴィチ
- 1215年-1219年 グレプ・スヴャトスラヴィチ
- 1219年-1223年 ムスチスラフ・スヴャトスラヴィチ
- 1224年-1226年 ミハイル・フセヴォロドヴィチ
- 1226年 オレグ・スヴャトスラヴィチ(復位)
- 1226年-1235年 ミハイル・フセヴォロドヴィチ(2度目)
- 1235年-1239年 ムスチスラフ・グレボヴィチ
- 1240年 ロスチスラフ・ミハイロヴィチ
- 1240年頃 ミハイル・フセヴォロドヴィチ(3度目)
- 1245年 アンドレイ・ムスチスラヴィチ
- 1246年-1261年 フセヴォロド・ヤロポルコヴィチ
- 1261年-1263年 アンドレイ・フセヴォロドヴィチ
チェルニゴフ大公(ブリャンスク公の別号)
- 1263年-1288年 大ロマン・ミハイロヴィチ
- 13世紀 オレグ・ロマノヴィチ
- 13世紀末-14世紀初頭 ミハイル
- 14世紀 ミハイル・アレクサンドロヴィチ
- 小ロマン・ミハイロヴィチ
- 1372年頃-1393年 "ドミトリー" カリブタス・アルギルダイティス
- 1393年-1401年 小ロマン・ミハイロヴィチ(復帰)
- 1401年頃 リトアニアによる併合
- Martin, Janet, Medieval Russia, 980-1584, (Cambridge, 1995)