チャールズ・ディエール[1](Charles Francis Dalziel、1904年6月6日 - 1986年12月15日)は、アメリカ合衆国の電気工学者。カリフォルニア州サンタマリア出身。カリフォルニア大学バークレー校の電気工学・コンピュータ科学の教授(1935 - 1967年)。
AIEE[2]、IEEE、その他の組織のメンバーであり、コンサルティング業務にも携わった[3]。
特に感電の研究では、日本の渋沢元治(1876-1975年)[4]、ドイツのジークフリート・ケッペン(Siegfried Koeppen、1905年 - 1976年)、オーストリアの ゴットフリート・ビーゲルマイヤー (Gottfried Biegelmeier、1924 - 2007年)とともにその業績が知られ、様々なところで引用されている[5]。
また彼は漏電遮断器の発明者として知られており、日本の漏電遮断器の設定電流の値はディエールの実験結果に基づいて定められている[6]。
- カリフォルニア大学に在学中の1927年にゼネラル・エレクトリック(株)に試験係として勤務し、学生エンジニアとしてスキルを磨いた。卒業後の1929年に「サンディエゴガス・電気(株)」に奉職し、発電、送電、配電システム保護機器を含む、システムの保護を担当した。
- 1932年に理学修士(M.S.)学位を取得すると、カリフォルニア大学バークレー校に新規設立された電気工学部に奉職し、1935年にEd.D.(Doctor of Education)学位を取得し、1967年に名誉教授となった。
- 第二次世界大戦中、大学のESMWTプログラム(英語版)の監督になった。これはカリフォルニアにある21の造船所で大学レベルのプログラムを組み立てて、監督を担当するというものであった。
- 1944年には、科学研究開発局の国防研究委員会第13部の主任技術補佐官に任命され、軍隊各部署間の連携を改良し、研究任務を勤めあげた。
- 1961年、AIEE、IEEE、他の組織のメンバー活動やコンサルティング業務等の多くの業務に加えて、彼はジュネーブの国際労働機関で「電気事故と関連事項に関する専門家会議」に派遣された。その委員会業務は、安全性に対する活動、電気柵、労働安全衛生、電気機器の漏れ電流、製品の安全性などに及んでいた。
- 1969年、ASSE(アメリカ安全技術者協会)の名誉会員に選ばれたが、主な論文のうち3通は感電に関するものだった。
- 1970年、彼はIEEE のIGA(Interactive Genetic Algorithm:対話型遺伝的アルゴリズム)功績賞を受賞した。 以上[3]