チャールハーサン Charuhasan | |||||||||||
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本名 | シュリニヴァサン・チャールハーサン(Srinivasan Charuhasan) | ||||||||||
生年月日 | 1931年1月5日(93歳) | ||||||||||
出生地 | イギリス領インド帝国 マドラス管区パラマクディ | ||||||||||
職業 | 弁護士、俳優 | ||||||||||
ジャンル | タミル語映画 | ||||||||||
活動期間 | 1979年-現在 | ||||||||||
配偶者 | コマラン(1953年-現在) | ||||||||||
著名な家族 |
スハーシニ・マニラトナム(娘) チャンドラハーサン(弟) カマル・ハーサン(弟) アヌー・ハーサン(姪) シュルティ・ハーサン(姪) アクシャラ・ハーサン(姪) | ||||||||||
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チャールハーサン(Charuhasan、1931年1月5日 - )は、インドの弁護士、俳優。タミル語映画、カンナダ語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画、ヒンディー語映画で活動し、国家映画賞 主演男優賞を受賞している[1]。タミル語映画の俳優カマル・ハーサンの兄であり、同じくタミル語映画の女優スハーシニ・マニラトナムの父である。
1931年1月5日、弁護士で独立運動家のD・シュリニヴァサンとラージャラクシュミーの息子として生まれる。チャールハーサンは夫妻の長男であり、末弟のカマル・ハーサンとは23歳差である[2][3]。
幼少期に事故に遭ったことが理由で学校に通うことができず、家庭教師から教育を受け[4]、9歳の時に5年生として学校に入学した。1949年にベラガーヴィのラージャー・ラカムガウダ法科大学に進学し、1951年に弁護士資格を得た[1][3][5]。その後、1951年から1981年にかけて弁護士として活動し[3]、イマヌヴェール・デーヴェンドラル殺人事件ではパスンポン・ムトゥラーマリンガ・テーヴァルの弁護士を務めるなど、著名な事件に携わった[3]。この時期、チャールハーサンはペリヤールの合理主義に感銘を受け、彼からは「シシュヤン(sishyan、弟子)」と呼ばれ、目をかけられていた[3]。
チャールハーサンは幼少期から映画に興味を抱き、1940年代には一日に2本の外国映画を鑑賞していた。弟のカマル・ハーサンが子役として映画に出演するようになると、チャールハーサンは弟の世話係として撮影現場に出入りするようになり[3]、1979年にマヘンドランの『Uthiripookkal』で俳優デビューした[3]。これ以降、彼は『Vedham Pudhithu』『Tabarana Kathe』『ダラパティ 踊るゴッドファーザー』など120本以上の映画に出演してサブキャラクターや悪役を演じている。また、監督として『Pudhiya Sangamam』『IPC 215』の2本の映画を製作している。
年 | 部門 | 作品名 | 結果 | 出典 |
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国家映画賞 | ||||
1987年 | 主演男優賞 | 『Tabarana Kathe』 | 受賞 | [6] |
フィルムフェア賞 南インド映画部門 | ||||
1993年 | カンナダ語映画部門主演男優賞 | 『Kubi Matthu Iyala』 | 受賞 | |
カルナータカ州映画賞 | ||||
1986-87年 | 主演男優賞 | 『Kubi Matthu Iyala』 | 受賞 |