カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||||
デザイナー | モーリス・フィリップ | ||||||||||
先代 | P34 | ||||||||||
後継 | 009 | ||||||||||
主要諸元[1] | |||||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||||
トレッド |
前:1,702 mm (67.0 in) 後:1,600 mm (63 in) | ||||||||||
ホイールベース | 2,700 mm (110 in) | ||||||||||
エンジン | コスワース DFV V8 NA | ||||||||||
トランスミッション | ヒューランド FGA 400 5速, MT | ||||||||||
重量 | 590 kg (1,300 lb) | ||||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | エルフ・チーム・ティレル | ||||||||||
ドライバー |
ディディエ・ピローニ パトリック・デパイユ | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
初戦 | 1978年アルゼンチングランプリ | ||||||||||
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ティレル・008 (Tyrrell 008) は、ティレルが1978年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。ディディエ・ピローニとパトリック・デパイユがドライブし、数度の表彰台を獲得した。その中にはデパイユによるモナコでの勝利も含まれる。
ティレル・008はモーリス・フィリップが設計し、6輪車のティレル・P34に代わって投入された。アルミニウム製のモノコックに、V型8気筒のコスワース DFVを搭載した[2]。
1978年シーズン、ティレルはパトリック・デパイユのチームメイトとしてディディエ・ピローニを起用し、フランス人コンビとなった[2]。008はシーズン開幕戦のアルゼンチングランプリでデビューし、デパイユは予選10位、決勝3位という結果であった。次戦のブラジルではリタイアしたが、続く3戦で連続して表彰台を獲得する。南アフリカで2位、アメリカで3位、モナコではシーズンの予選最高位となる5位からスタートし、自身の初勝利を挙げ、ポイントランキングのトップに立った。その後はリタイアが多かったものの、オーストリアの2位を含む3戦でポイントを挙げる。全16戦中8戦でリタイアと成り、008は信頼性が問題であった[1]。
ピローニはアルゼンチンで予選23位、決勝は14位であった。次戦のブラジルでは6位でポイントを獲得し、シーズン全体では5回のポイント獲得となった。最高位は5位でモナコとドイツの2回であった。予選の最高位はオーストリアの9位で、これはデパイユより予選で上回った2回の内の1回である[1]。
チームは合計38ポイントを獲得しランキングは4位となった。デパイユは34ポイントでドライバーズランキング5位、ピローニは7ポイントで15位であった[3]。
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1978年 | エルフ・チーム・ティレル | 008 | フォード V8 | G | ARG |
BRA |
RSA |
USW |
MON |
BEL |
ESP |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
USE |
CAN |
38 | 4位 | ||
3 | ピローニ | 14 | 6 | 6 | Ret | 5 | 6 | 12 | Ret | 10 | Ret | 5 | Ret | Ret | Ret | 10 | 7 | |||||||
4 | デパイユ | 3 | Ret | 2 | 3 | 1 | Ret | Ret | Ret | Ret | 4 | Ret | 2 | Ret | 11 | Ret | 5 |