ティーツリーガリー市 南オーストラリア州 | |||||||||||||||
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人口 | 100,155(2009)[1] | ||||||||||||||
• 人口密度 | 999/km2 (2,590/sq mi) | ||||||||||||||
面積 | 95.21 km2 (36.8 sq mi) | ||||||||||||||
首長 | ミリアム・スミス (Miriam Smith) | ||||||||||||||
議会 | モデブリー (Modbury) | ||||||||||||||
地域 | アデレード大都市圏 | ||||||||||||||
州選挙区 | Little Para, Florey, Newland, Playford, Torrens, Wright | ||||||||||||||
代議院選出地区 | Mayo, Makin, Sturt | ||||||||||||||
ウェブサイト | ティーツリーガリー市 | ||||||||||||||
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ティーツリーガリー市は、オーストラリア南オーストラリア州、アデレード大都市圏の北東部に位置する地方自治体(LGA: Local Government Area)。人口はおよそ10万人で[2]、アデレード近郊の自治体としては人口が多い部類になる。主な業務地区はモデブリー(Modbury)で、ここにはティーツリープラザ(Tea Tree Plaza)、行政センター、市立図書館が置かれている。
オーストラリア人の生理学者で、ペニシリンの共同発見者のひとりとしてノーベル賞を受賞したフローリー男爵ハワード・フローリーは、ティーツリーガリー市の住民であった[3]。
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ティーツリーガリーは、もともとは、この地域の大地主であった住民ジョン・スティーヴンス(John Stevens)という人物にちなみ、「スティーヴントン (Steventon)」という名で知られていた。地域の名が変わった現在でも、ティーツリーガリー市の選挙区のひとつにはスティーヴントンという名が残っている。
もともとこの一帯はハイアコム行政区(the Highercombe District Council)の一部であったが、1858年10月に行政区を二分した際に、ひと回り小さくなった行政区の一方がティーツリーガリーという名になった。1935年5月に行政区が再統合されたとき、あらたな行政区の名はティーツリーガリーとなり、今日のティーツリーガリー市となった。
地名に含まれているガリー (gully)とは、水の流れによって地表面が削られてできた地形のことで、ロフティ山の丘陵地の移動に用いられていた牛の荷車で移動できる程度の傾斜がある道として知られていた。また、ガリーには、泉が湧き出ており、これによってこの地域には、オーストラリアで「茶の木 (Tea Tree)」と呼ばれるレプトスペルマム (Leptospermum)が多く生えており、「ティーツリーガリー」と名付けられた。
ヴィスタ(Vista)地区一帯は、350ヘクタールにおよぶアンステイヒル・リクリエーション公園(Anstey Hill Recreation Park)に連なっている。
1976年に、イアン・オール(Ian Auhl)が著したティーツリーガリー地域の詳細な歴史の本[4]が刊行された。その後この本は、新たな内容を加えながら再刊されている。